santita-salesiana-2019

若い会員の個人的な勉強です。よければ、読んでください。
Forty Dreams Of St. John Boscoから訳されるものです。
月に一度更新します。

 

⑧死の首輪(BM IX,p.278)

 私は夢を見ていました。自分の部屋から出ると、すぐに自分自身が教会の中にいることに気がつきました。そこには、ランツァやミラベッロなど私の知らない多くの若者たちが密集していました。男の子たちは、声を出して祈っておらず、ゆるし秘跡の準備をしているようでした。私は、告解室の周りを囲んでいる多くの男の子たちを見て、どうすれば全員の告解を聞くことが出来るだろうかと思い始めました。私は、自分が夢を見ているのかもしれないと思い、自分が起きているかを確認するために、手をたたくと、はっきりとその音を聞くことが出来ました。再度、確かめるために、私が自分の手を伸ばすと、告解室の後ろの壁に触れることができました。疑う余地もなく、「始めてもよいのでは」と自分に言い聞かせ、告解を聞き始めました。すぐに、私は、男の子たちの数を心配して、他に聴罪司祭がいないだろうかと辺りを見渡しましたが、誰もいませんでした。そこで、私は、香部屋係に助っ人を探してくるように伝えました。ちょうど、その時でした。私は、男の子たちに今にも窒息しそうな首輪がついていることに気がつきました。
「その首輪は、なんだい。」私は尋ねました。
「取りなさい。」男の子たちは私の前ではずし始めました。そして、私は、一人の若者に、
「君、あの男の子のところに行って、あの首輪を首から外してくれないか」言いました。
彼は、その子のもとに行きましたが、戻って来て私に言いました。
「僕には取り外すことが出来ません。誰かが、つかんでいます。来てください。」

醜い猫
 私が、数多くの男の子たちの群にさらに近づいて綿密に調べていると、彼らの後ろから突き出ている2本のとても長い角を見つけました。私は、自分の一番近くにいる男の子に近づいて、彼の後ろから引っ張りあげました。すると、醜い猫が首輪に必死にしがみついているのを見つけました。私の行動に驚いたのか、その猫は、身を屈めて、自分の鼻を足の間に隠しました。私は、この男の子と他の男の子に名前を尋ねましたが、彼らは答えませんでした。あの恐ろしい獣に質問しても、その獣は、身を屈めたままでした。
「香部屋に行って、メルローン神父に聖水を頼みなさい。」
私は、男の子たちの一人に指示しました。彼は、聖水を持って、戻ってきましたが、同時に、男の子たちの背後に最初の一匹と同じくらいの醜い猫が身を屈めているのを見つけました。私は、これが夢であって欲しいと思い続けました。潅水器を持って、私は、これらの多くの猫の一匹の方を向きました。
「おまえが何者か、私に話しなさい」と私は命じました。
口を開けたり、閉じたりしながら、醜い動物は、うなり声をあげ、突進する準備をしていました。
「答えなさい」と私は言い張りました。
「おまえはここで何をしているのか。私は、おまえの脅しには、怯えていない。おまえには、この聖水が見えないのか。おまえに全部、振りかけるぞ。」
その動物は、狼狽しながら、信じられない程体をねじって身悶え始め、再び、私に飛びかかる準備をしているようでした。私は、その動物を見続けました。そして、その動物が、足にいくつかの首輪をもっていることに気がつきました。
「おまえはここで何をしているんだ。」
私は、聖水でその動物を脅しながら、再び問いかけました。すると、その怪物は、逃げ出すために、緊張している姿勢を崩しました。
「やめなさい。おまえは、ずっとここに残りなさい」と私は命令しました。
「ほれ、見ろ。」その獣は、うなり声をあげながら、その首輪を私に見せました。
「それは何だ。何を意味しているんだ」と私は尋ねました。
「あんたは知らないのか。俺は、男の子たちをなわで縛って悪い告解をさせているのだ。これらの首輪で、俺は、人間たちを確実に地獄へと引きずりこんでいるのだ。」
「イエス・キリストの名によって話しなさい。」その怪物は、恐ろしく身もだえながら
「一つ目の首輪で、男の子たちは、ゆるしの秘跡で自分たちの罪を隠すようになるのだ」と答えました。
「そして、二つ目は」
「彼らに本当の悲しみのない告白をさせるのだ」
「そして、三つ目の首輪で」
「おまえには、言いたくない」
「言った方が身のためだぞ、さもないと、おまえにこの聖水を振りかけるぞ。」
「やめてくれ。すでに多くのことを話しだろう」
そして、その獣は、激しく怒りながらうなり声をあげました。
「私が自分たちの学校の先生たちに説明することができるように話しなさい。」
私は、潅水器を振りあげながら、命令しました。怪物が、渋々小言で、
「三つ目の首輪で、男の子たちは、堅い決心をすることや聴罪司祭の助言を実行することから引き離すのだ」と言うと、その獣の目から炎と血の滴が流れました。
「なんて醜い獣だ」と私は叫びました。
私は、その獣にさらに質問をしたく、どうすれば、この大きな悪を矯正できるか、そして、邪悪な力の働きに打ち勝つことができるかをその獣に話させたかったのですが、今まで隠れてその場にとどまっていたすべての醜い猫たちが、小言を言い始め、そして、話していた猫に対して大きな叫び声をあげました。騒ぎ声が広がり始めた最中で、私は、その獣からこれ以上何も聞くことは出来ないと気づきました。そのため、私は、潅水器を振り上げ、聖水を話していた猫に振りかけ、「立ち去れ」と命令しました。すると、その猫は、消え去りました。そして、私は、辺り一帯や大騒ぎのあったところに聖水を振りかけると、すべての猫があわてて逃げ去りました。私は、やかましい音で、自分がベッドにいることに気がつきました。

素直さ・悲しみ・決心
 愛する子たちよ、私は、あなたたちの多くが首に首輪をつけていると思いたくはありません。それが何を表すかは、分かっているでしょう。一つ目の首輪は、ゆるしの秘跡の中で、罪を隠そうとさせます。例えば、自分に責めるべきことが正確に4回あっても、罪を犯したことが3もしくは4回あったといったように、回数に対して嘘をつくようにさせるのです。二つ目の首輪は悲しみ、三つ目の首輪は固い決心が欠けるようにさせます。もし、私たちが、これらの首輪を自分自身から取り除き、悪魔の手からそれらを引き離すつもりならば、すべての罪を告白し、心から罪を悔いましょう。
烈火のごとく怒る少し前に、獣は、私に言いました。
「どれくらい良い男の子たちをゆるしの秘跡から引きずり込むか見ているがよい。もし、私が首輪を男の子たちに付けたどうか知りたければ、彼らの態度が改善されたかどうかを見ろ。」
 また、私は、悪魔にどうして男の子たちの背後でしゃがんでいるのかを話させました。
「見られないようにするためさ。そうすれば、簡単に地獄に引きずり込むことが出来るからな。」
 あなたたちは、この夢が本当か確かめたいと思うかもしれませんが、これは、私が先程言ったことを確認したまさに事実であり、私が夢を見たことは真実であると分かりました。ですから、私たちは、良いゆるしの秘跡とミサに与ることで完全な免償が得られるこの機会を利用しましょう。悪魔の首輪から私たちが自由になるために最大限努力しましょう。
 教皇様は、ご自分の司祭叙階50周年の機会に、完全な免償を来週の日曜日の4月11日に諸秘跡を受けた後、教皇様のために祈りを献げた全て人にお与えになります。今週の土曜日には、シュバリエール・オレグリアが教皇様と私的謁見を行い、私たちの学校やオラトリオに来ている男の子たちのサインが書いてあるアルバムを献上する予定です。君たちの過去のゆるしの秘跡の受け方が良かったどうかは分かりませんが、次の日曜日のミサで君たち全員のことを思い起こしたいと思います。

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⑦魔物に引きずり込まれた2人の男の子(BMⅡ,p. 396)

 ドン・ボスコは、深刻な病の後、ベッキの家で療養していた時に夢を見ました。オラトリオの男の子たちは、629人に達し、ドン・ボスコが不在の間、ボレロ神父と他の協力者が、オラトリオを運営していました。(BMⅡ,pp.380-399)
ドン・ボスコには、気が気でならない二つのことがありました。それは、魂が危機に陥り、さまよっている時と神が気分を害された時でした。
 おそらくその時だったと思いますが、ジュゼッペ・ブゼッティは、私たちにドン・ボスコがとても残念な夢を見たことを話してくれました。ドン・ボスコは、見覚えのある2人の男の子がトリノを去って、自分ところに来るのが見えましたが、彼らが、ポー川にかかる橋を渡ろうとした時、身の毛のよだつ魔物が彼らに襲いかかりました。魔物は、2人の男の子によだれを垂らした後、地に彼らを打ち倒して、泥道を引きずり回りましたので、2人の男に子は、全身泥まみれになりました。ドン・ボスコは、この夢について、自分のそばにいる何人かの男の子たちに話し、夢で見た男の子たちの名前にも触れました。その夢が、単なる幻想以上のものであることを示す出来事が後に起こりました。二人の不幸な男の子たちは、オラトリオから見放され、堕落した生活に自分自身を明け渡すこととなったのでした。

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⑥聖フランシスコ・サレジオ教会の未来(BMⅡ,p. 318)

 様々な困難がドン・ボスコ自身の決心を躊躇させることはありませんでした。これは、彼の生涯にわたる特徴です。長い内省と自分の長上や他の敬虔な人との相談の後に、彼は、すぐに実行に移しました。ドン・ボスコは、自分の務めを果たすまで、決して手を引くことはありませんでした。しかし、彼は、純粋に人間的な動機から何かを始めることはありませんでした。眠っている間も、彼は、啓示が与えられる幻に恵まれていました。以下の話は、ドン・ボスコが事業を始めた一年目にルア神父と他の人々に話したものです。

 時々、ドン・ボスコは、自分が幾つかの建物と教会を見つめていることに気がつきました。それは、今の聖フランシスコ・サレジオのオラトリオに全体的に重ねると一致していました。教会の正面には、「これは私の家、ここから私の栄光が流れ出る」という銘がありました。そして、男の子たち、神学生、司祭たちがその門を行ったり、来たりしていました。
この光景は、時々、他の光景を写し出しました。同じ場所で、ピナルディの小さな家が、その周りには、ある教会に隣接している柱廊式玄関が、そして、多くの男の子、神学生、司祭たちが現れました。「こんなことは、あり得ない。本当にしては出来すぎている。これは、悪魔が見せている幻なのか」とドン・ボスコは、自分に問いかけました。そのとき、「主がご自分の民を豊かにし、エジプトの民を滅ぼされることを知らないのか」と自分に語りかける声をはっきりと聞きました。

 また、別の時に、ドン・ボスコは、コットレンゴ通りにいるようでした。彼に右手側には、ピナルディの家が畑に囲まれた菜園の真ん中に立っていて、左手側、およそピナルディの家の反対側には、モレッタの家が、隣接した運動場と畑と一緒にありました。そこは、扶助者聖母会が後に、創立されたところです。二つの支柱が、聖フランシスコ・サレジオの将来のオラトリオの中心の門に立っており、ドン・ボスコは、それらの柱の上の「これは私の家、ここから私の栄光が流れ出る」という銘を読むことが出来ました。これは、明らかに、サレジオ会員のそばで育まれる女子修道会の最初の暗示でした。仮に、ドン・ボスコが最初の光景のものを見ていたならば、彼は、修道女たちを見ていたとは言えなかったでしょう。いずれにしても、彼は、これらの事柄について、口数を少なくしており、当時は、何も話しませんでした。

 ところで彼が、司祭研修学院で見た最初の夢(BMⅡ p.190f)が、現実のものになろうとしています。ドン・ボスコは、永遠の住まいを見つける前に三つの停留所に止まらなければなりませんでしたが、その一番目がリフージョ、2番目がモリーニドラであり、野原のあるモレッタの家が、三番目となるはずです。神の祝福がありますように。

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⑤三人の殉教者(BM2,p.268)

さまようオラトリオ
 ドン・ボスコのオラトリオは、発足してから5年間、「さまようオラトリオ」でした(聖ヨハネ・ボスコの回想緑第2巻,262ページ参照)。以前の建物は、何百人の男の子が遊ぶには十分な広さがなく、近隣の人々の邪魔にもなったので、ドン・ボスコは、ある場所から場所へ、ある人からは悩まされながら、また、ある人からは称賛と助けを得ながら、自分の群を連れて移動しなければなりませんでした。しかし、聖母マリアは、これらのすべての放浪の旅のうちにあっても、ドン・ボスコを慰め、導いたのです。
 ドン・ボスコが見た夢の一つは、彼にまた別の驚くべき光景を明らかにしました。彼は、これについて1844年に幾人かに簡潔に打ち明けましたが、その最も決定的な部分は、ドン・ボスコが、感極まりながら、我を忘れた状態で扶助者聖母聖堂を見つめていた二十年の間のいつでも、様々な機会に打ち明けられていました。彼の傍で、私たちは、ドン・ボスコの言葉を心に留め、注意深く、その度、書き留め、そして、以下のように彼の夢を再構築することが出来ました。

 ドン・ボスコは、「ロンド」かヴァルドッコ広場の北の端にいるようでした。現在、レジーナ・マリア通りとして知られている広い並木道に当時立ち並んでいた木々に沿ってドラ川を眺めていると、ドン・ボスコは、約200メートル離れた所、現在、コットレンゴ通りの近くに、まぶしく輝いている3人の凛々しい若者を見つけました。彼らは、ジャガイモ、トウモロコシ、豆、キャベツが植えられた土地、つまり、以前の夢の中で、テーベの軍団の3人の兵士たちが殉教した場所としてドン・ボスコに指し示された場所に立っていました。彼らは、彼に来て、加わるように合図をしました。彼は、出来る限りの気を配りながら、急いで行くと、彼らは、その場所のかなり端までドン・ボスコを連れていきました。そこは、現在、壮麗な扶助者聖母聖堂が立っています。

聖母マリアがドン・ボスコを救った
短い散歩の間に、ドン・ボスコは、自分がさまよっていることに気がつき、最終的に、ある女性の前に立っていました。彼女は、驚くほど美しく、壮麗で立派は服を着ており、周りには、女王の大臣たちに似た威厳のある男性たちがいました。輝く服装をした何百人の人々は、彼女の従者となっていました。まるで、彼女が女王であるかのようでした。他の大勢の人たちも、目で見ることが出来るほど、はっきりとしていました。その女性は、ドン・ボスコに近くに来るように手招きしました。彼女に近づくと、彼女は、ドン・ボスコと同行した三人の若者たちは、ソルトーレ、アヴェントーレ、オクタヴィオという三人の殉教者であると彼に言いました。そこで、ドン・ボスコは、彼らがこの場所の保護聖人であるという意味だと解釈しました。
 そして、魅力的な笑顔と愛にあふれた言葉で、彼女は、さらなる決心をもって大きな働きを行う限り、男の子たちを決して見捨てないとドン・ボスコを励ましました。彼女は、ドン・ボスコに、多くの深刻な問題に直面することになるが、神の母とその女性の聖なる息子への堅い信仰によってすべてに打ち勝ち、払拭することができるだろうと知らせました。
 最後に彼女は、本当に実在した家を彼に示しました。かれは、後に、それがピナルディという名前の男性のものであることに気が付きました。また、彼女は、彼に、同じ場所にある小さな教会を示しました。そこには、現在、聖フランシスコ・サレジオの教会とその近隣の建物が立っています。彼女は、右手を挙げて、とても美しい声で、「これは、私の家、ここから私の栄光が輝き出る」と言いました。これらの言葉を聞いて、ドン・ボスコは、目覚めるほどに感動しました。彼女は、真に聖なるおとめであり、全体の光景は、次第に、明け方の霧のように視界か消えていきました。

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④オラトリオの将来(BM vol.2 p.232)

聖ヨハネ・ボスコは、マルキオネス・バローロ婦人のリフージョで、オラトリオのために借りていた宿舎から立ち退くように求められた時、ある慰めとなる夢、もしくは、より良い、一続きの夢を見ました。このようにして、彼は、1875年に何名かのサレジオ会の司祭に語りました。

喧嘩をしている若者たち
私は、喧嘩をしたり、ののしったり、騙したり、他の非難すべき事柄を行っている男の子たちの群と共に、広大な草原にいるようでした。空中は、喧嘩している男の子たちが投げ合って飛び交っている石であふれていました。彼らは、全員見捨てられた男の子で、倫理的な規範を失っていました。自分のそばにいるあの女性に気づいた時、私は立ち去ろうとしていました。彼女は、「あの男の子たちの間に行って働きなさい」と言いました。
 私は、彼らに近づいて行きましたが、何をすることが出来るというのでしょうか。私には、彼らを集める場所がありませんでしたが、私は彼らを助けたかったのです。私は、離れた所から見ていて、私を助けてくれそうな人々の方を向き続けていましたが、誰も注意を向けておらず、私を助けてくれませんでした。そして、私は、あの女性の方を見ました。彼女は、「ここが場所です」と言って、野原を指さしましたが、私は、「ここはただの野原です」と言いました。
 彼女は、「私の息子とその弟子たちは、枕するところさえなかったのです」(マタ8:20)と答えました。私は、その野原で働き始めました。助言を与えたり、説教をしたり、ゆるしの秘跡を授けたりしましたが、私の努力はほとんどが無駄であったことが分かりました。私は、両親に見捨てられ、軽蔑され、社会から拒絶された子どもたちを集めて泊まらせるための何らかの場所を手に入れなければならなかったのです。そして、その女性は、私を少し遠い北の方角に導き、そして、「見なさい」と言いました。

教会と殉教者たち
そこを見ると低い屋根と小さな庭があり、たくさんの男の子たちがいる小さな教会が見えました。私は、自分の仕事を再開しましたが、教会があまりにも小さすぎたので、私はその女性に再び願いました。すると、彼女は、別の教会、より大きな教会とその教会の近くの家を指さしました。そして、彼女は、教会の正面とほぼ反対側にある耕された場所の近くに私を連れていきました。彼女は、「この場所は、トリノの偉大な殉教者、アドヴェントールとオッタヴィオが殉教したところです。そこは、彼らの生身が染み込んでおり、彼らの血によって聖なるものとされています。私は、神に栄光が帰されることを望んでいます。」そういうと、彼女は、足を出して、殉教者たちが埋まっている正確な場所を指し示しました。私は、戻った時に、再びその場所を見つけ出すために目印を置いておきたかったのですが、私は、一本の枝も一つの石も見つけることが出来ませんでした。それにもかかわらず、私は明確に頭の中で覚えていました。それは、かつて聖アンナの教会として知られている聖なる殉教者の聖堂の内側の隅に一致していました。それは、扶助者聖母聖堂の中心祭壇に直面しているおり、正面左隅にあります。
 その間、私は、数多くの、日に日に増えていく男の子に囲まれていることに気が付きましたが、私はその女性を見続けていました。その教会と資力もまた、次第に増えていきました。そして私は、テーべの軍団の兵士が殉教した場所として彼女が指し示した正確な地点にある大きな教会を見ました。その辺りには、多くの建物があり、真ん中には美しい山がそびえ立っていました。

従順のリボン
これらの事が起こっていた中で、私は、まだ夢を見ていました。司祭や神学生たちが私を手伝ってくれていたのですが、しばらくすると、彼らは去って行くのに気が付きました。私は、他の人たちが留まるようにあらゆることを試みましたが、しばらくして彼らも私を一人にさせました。そして、私は、助けを求めて、もう一度、あの女性の方を振り向きました。「彼らを留めておくために何をすれば良いか知りたいのですか」と彼女は尋ねました。「このリボンを受け取り、それを彼らの額に結びつけなさい。」私は、彼女の手からその白いリボンを恭しく受け取りました。そして、そこに「従順」という言葉が書かれていることに気が付きました。私は、すぐにそれを実践に移し、協力者の額に結びつけ始めました。このリボンは、驚くように作用しました。自分に託されている使命を遂行するにつれて、私のすべての助け手が、自分から離れる考えを諦め、留まるようになりました。こうして、私たちの会は誕生したのです。
 私は、数多くの他の事柄を見ましたが、今、それらを結びつける必要はないでしょう。それ以外には、自分がオラトリオやその会と思われる場所、また、よその者として扱う態度やそれらの位置づけに対して無責任な態度が感じられた場所を歩いたというだけで十分だと思います。私はすでに、これから起こるすべての困難を予想していましたし、それらを克服する仕方を知っています。私は、少しずつ、起こることを全体的に把握することができますし、ためらいもなく前に進んでいます。ただ、私がそれについて他の人に言及したり、それを現実のものとして語ったのは、私が夢の中で教会、学校、運動場、男の子たち、私を助けてくてる神学生や神父たちを見、使徒職の発展の仕方を学んだ後だったので、多くの人々は、私が馬鹿げた話をしていると思い、私が精神異常者であると信じていました。

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③女性の羊飼いの夢(BM vol.2 p. 190)

ヨハネ・ボスコは、1841年6月5日に司祭に叙階されました。聖なる役務は、彼の全生涯憧れでした。そして、ついに、長く待ち望んでいた目標に達したのです。彼は、26歳になり、司祭としての最初の数ヶ月を自分の故郷のカステルヌヴォで愛すべき司牧者チンザーノ神父と一緒に過ごしました。その期間について以下の彼の回想録を読んでみましょう。

1841年、私は、この5ヶ月間、助手のいない司牧者だったので、一人で奉仕をしていました。私は、この仕事に大きな喜びを見いだしていました。毎週日曜日に、説教をし、病気の人を訪問し、秘跡を行っていました。ただ、ゆるしの秘跡については、まだ許可を得ていなかったのでしませんでした。葬式の司式をしたり、教会の記録を整理したり、求められた証明書を発行したりしました。しかし、私の最も大きな喜びは、子どもたちに要理を教えたり、一緒に時間を過ごしたり、話したりすることでした。子どもたちは、ムリアルドから度々、私に会いに来ましたし、私が家に帰る時はいつでも、自分の周りに群がっていました。また、カステルヌヴォでは、若者たちと友達になり、私の部屋を探し始めました。私が司祭館を離れる時はいつでも、私が行くところにはどこにでも付いてくる男の子たちの群に付き添われていました。

ドン・ボスコには、寛大な報酬付きの契約の申し出が3つありました。神の御旨を理解するために、彼は、司牧における若い司祭の養成を行う司祭研修学院で教鞭をとっているカファッソ神父(現在は、聖人ですが)から霊的指導を受けるために、トリノに行きました。カファッソ神父は、彼に司祭研修学院に入るように勧めました。ドン・ボスコが、1841年12月8日に貧しい子どもたちのために日曜日の要理を始めたのは、まさに、ここからだったのです。それは、数年の間、さまようオラトリオでした。誰も100人ほどの男の子が遊び場で出す叫び声に邪魔されたくなかったのです。そのため、ドン・ボスコと子どもたちは、何度も場所を変えなければならなかったのでした(BMⅡCh.6,7参照)。しかし、将来の出来事を明らかにする夢によって、ドン・ボスコは、慰められたのです。彼の回想録から彼自身の言葉を用いてこの夢について話しましょう。

その年(1844年)の第二日曜日に、私は、オラトリオがヴァルドッコに移動することになったことを男の子たちに伝えなければなりませんでした。しかしながら、その具体的な場所、方法、私を助けてくれる人たちについて確信がなかったので、私は、とても心配でした。土曜日の夜に私は新しい夢を見ました。その夢は、私が9歳の時にベッキで見たものの続きのようにも思えましたが、文字通りに書き留めるのが最善だと思いました。
私は、数多くの狼、山羊、子羊、羊、雄羊、犬、鳥に中にいました。その群全体は、勇敢な人でさえも怯えてしまうほどほど、騒がしく、混乱しており、騒ぎ回っている状態でした。女性の羊飼いの服装をした女性が、私に自分の所にくるように手招きをした時、私は、逃げたかったのですが、彼女が率いている不思議な群に付いて行くことにしました。
私たちは、目的もなく、歩き回り、道の途中で三回ほど止まりましたが、その度に、先の動物たちの多くが子羊に変わりはじめ、その結果、子羊の数は、絶えず増え続けました。長い道のりを歩いた後、私は自分が牧草地にいることに気が付きました。そこでは、先の動物たちが、牧草を食べ、遊び戯れ、お互いに噛みつくようなことはありませんでした。
私は疲れたので、道の傍らに座りたいと思いましたが、女性の羊飼いは、歩き続けるように私を招きました。短い距離を行くと、柱廊式玄関に囲まれ、その端に教会のある大きな運動場に着きました。そこで、私は、大半の動物が子羊に変わっていることに気が付きました。そして、その数もとても増えました。その瞬間、多くの若い羊飼いたちが、世話をするためにやって来ましたが、彼らは、短い時間そこにとどまっただけで、離れて行きました。そして、驚くべきことが起こったのです。多くの子羊が羊に変わり、その群を世話したのです。その羊飼いの数は、とても多くなり、彼らは分かれて、ほかの奇妙な動物たちを囲いに入れるためにあらゆる所に行きました。
私は、ミサを行う時間になったと思ったので、そこから去りたかったのですが、女性の羊飼いは、私に南の方を見るように私に求めました。そこで、私は、トウモロコシ、じゃがいも、キャベツ、ビート、レタスや他の野菜が植えられている場所を見ました。「もう一度、ごらんなさい」と彼女が言いました。そうすると、私は、すばらしい教会に見入ってしまいました。その聖歌隊席で、私にミサの中で歌うように招いているかのような聖歌隊と楽器隊がいるのが見えました。教会の中には、白い飾りリボンが、大きな文字で「これは、私の家である。ここから、私の栄光が輝き出る」と記されて飾られていました。まだ、私は、夢を見ていたので、女性の羊飼いに私がいる場所や歩いたり、止まったり、家や教会を見たりした意味を尋ねました。すると、彼女は、「あなたの心の中で今、見たことをその目で目の当たりにしたときに、あなたは、すべてを理解するでしょう」と答えました。私は、自分が起きていると思い、「私は、自分の目ではっきりと見ています。私は、行っている所もしていることも知っています」と言いました。ちょうど、その時、聖フランシスコ・アシジ教会のお告げの祈りの鐘が鳴り、私は起きました。
この夢は、一晩中近く続きましたし、他の詳しい事もありました。その時、私は、自分自身も信用していませんでしたし、夢も少しも信頼していませんでしたので、それを全く理解しませんでした。事が徐々に形作られはじめて、私は理解し始めました。実際、その後、この夢は、他の夢と共に、リフージョにいる間に、私の計画の基盤を形作ることとなりました。

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②月毎の試験で見たヨハネ・ボスコの夢(BM1 p.190)

高校時代には、ヨハネ・ボスコは、知能と記憶力に加え、他の才能も持っていました。それは、飛び抜けていて、価値のあるものでした。その多くの出来事から一つをここに記したいと思います。

ある夜、ヨハネは、クラス分けをするために先生が行っている月毎の試験を受けている夢を見ました。目覚めた瞬間、ヨハネは、ベッドから飛び上がり、試験で出されたラテン語の文章を書き留め、神父の助手をしていた友人と一緒にそれを訳し始めました。それを信じるかどうかは別として、その朝、先生は、ラテン語のテストを行いましたが、それは、まさにヨハネが夢で見たものと同じラテン語の文章だったのです。そのため、彼は、辞書を必要とすることもなく、夢から覚めて後に書き出したように、それをとても早く訳すことができました。もちろん、成績は優秀でした。先生が尋ねたので、ヨハネが正直に起こった出来事を話すと、先生はとても驚いていました。

またある時、先生が、こんなに短い時間ですべての文法問題を解けるはずがないと疑うほど、ヨハネが、試験を早く提出したことがありました。先生は、昨夜に試験を準備したので、注意深くヨハネのテストを調べました。その試験がかなり時間がかかると分かっていたので、先生は、作った試験の半分を書き取らせましたが、ヨハネの作文のノートには、なんと最後の言葉まで全部、書いてあったのです。どうやってそれを説明することが出来るでしょうか。ヨハネがそれを徹夜して写すことも、自分の家からかなり離れていた先生の家に押し入ることも出来なかったでしょう。では、何でしょう。「僕はそれを夢で見ました」とヨハネは、言いました。そういう訳で、ヨハネは、学校の友達から「夢見人」というあだ名が付けられました。

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①最初の夢(BM vol.1 p. 94)


ヨハネ・ボスコは、1815年に生まれ、幼少期をイタリアのピエモンテにある小さな村、ベッキの明るく自由な雰囲気の中で過ごしました。彼は、小さな牧者として仲間と遊び、彼らを悪から引き離し、真理へと導きました。
1823年、ヨハネは、数マイル離れたカステルヌーヴォの町にある学校に行くことを望みましたが、20歳の無学な義兄が、その願いを妨げました。彼は、畑やブドウ園で働くことをヨハネに望んでいたのでした。
しかし、1824~1825年の冬の間、ピエモンテの畑が雪で覆われ仕事がない時に、ヨハネの母親は、ヨハネを近くの村にある学校に送りました。そこには、信心深い司祭がいて、彼に読み書きを教えるだけでなく、とりわけ、要理を教え、初告解のための準備をしてくれました。この司祭の指導の下で、若いヨハネは、祈りと苦行によって魂のうちに神の恵みを保たせるために必要な方法を身につけたのでした。
文字が読めるようになるとすぐに、牧場の動物を見張っている時でさえ、本を手に持ったヨハネの姿が頻繁に見られるようになりました。ある時、何人かの他の羊飼いの男の子たちが、遊びに加わるようヨハネに声をかけましたが、彼が断ったので、彼らから殴られたこともありました。ヨハネは、彼らにやり返したかもしれませんが、赦しが彼の復讐だったのです。「僕は遊べないよ、勉強しないといけないんだ、僕は司祭になりたいんだ」。
その後、男の子たちは、ヨハネをそのままにしておくようになりました。彼らは、ヨハネの忍耐と素直さに心動かされて、友達になりました。それから、ヨハネは、彼らに要理を教え始めるようになり、聖母マリアに賛美の歌を歌うように教えました。
ヨハネが9歳になった時、彼は、働き盛りの間に実現するとても大きな将来像と男の子たちのための摂理的な使命を与えられることになります。この夢について「オラトリオ回想録」の中で、ヨハネ・ボスコ自身が語っています。彼は、「聖フランシスコ・サレジオのオラトリオ回想録」を教皇から明確な命令を受けた後で、書きました。サレジオ会員に向けての原稿の短い序文のあとに、彼は、以下の夢を語っています。

第一部 イエスの命令
9歳の時、私は人生の中でも深く印象に残っている夢を見ました。私は、自分の家の近くにあり、子どもたちの群が楽しんでいる大きな遊び場のです。笑っている子どももいれば、遊んでいる子どももいて、呪いの言葉を吐いている子も少なくありませんでした。私は、その声にショックを受けて、彼らの中に飛び込んでいき、激しく動き回りながら、やめろと叫びました。その時、雄々しく、堂々とした態度で高貴な服を身にまとったある男の人が現れました。彼は、白くて長いマントを着ており、彼の顔は、私が直接見ることが出来ないほど輝いていました。彼は、私を名指しで呼び、この男の子たちの指導者として私を選び出すために、「あなたは、こぶしではなく、寛容さと親切によって、これらの友達に打ち勝たなければいけない。だから、今すぐに、罪が醜く、徳が美しいものであることを彼らに示すことから始めなさい。」と私に語りました。
混乱と恐れから、私は、自分はただの男の子に過ぎず、この若者たちに宗教について話すことは出来ませんと答えました。その瞬間、喧嘩や叫び声や呪い言葉はやみ、男の子たちの群が話をしていた男性のところに集まって来たのです。無意識に私は、尋ねました。
「でも、どうやってあなたは、私が到底、出来そうにないことをするよう命令するのですか。」
「あなたは、従順と知識を身につけることで不可能に見えることをやり遂げなければなりません。」
「でも、どこで?どうやって?」
「あなたに一人の女の先生をつけてあげよう。彼女の導きの下で、学ぶでしょう。彼女の助けがなければ、すべての知識は愚かなものになるでしょう。」
「ところで、あなたは誰ですか?」
「私は、あなたのお母さんがあなたに日に三度、挨拶をするよう教えている人の息子です。」
「私のお母さんは、許しのない限り、知らない人と話さないように言っています。だから、どうか、あなたの名前を教えてください。」
「それは、あなたのお母さんに尋ねなさい。」

第二部 ヨハネの先生、聖母マリア
その時、私は、その男の人の傍にまるで星を着飾ったように輝いた美しいマントを着た威厳のある姿をした女の人を見ました。彼女は、私がますます混乱しているのを見て、私を自分のもとに呼び寄せました。彼女は、私の手を優しく取りながら、「見なさい」と言いました。すべての子どもたちが消えて、その場所には、山羊、犬、猫、熊など多くの動物がいるのが見えました。彼女が私に言いました。
「ここが、あなたが働かなければならない場所です。謙遜で、忠実で、強くありなさい。あなたは、これからこの動物たちに起こることを見て、それを私の子どもたちにもしなければならないでしょう。」
私が再び見ると、野生の動物たちが、穏やかで戯れている多くの子羊に変わり、あの男の人と女の人を歓迎して鳴いていました。
夢のこの時点で、私はとても混乱していたので、私は泣き始め、女の人にそのすべてが意味していることを説明するように願いました。すると、彼女は、自分の手を私の頭において言いました。「来るべき時に、すべてのことが明らかになるでしょう。」
彼女がこれらの言葉を言い終えると、何かの物音で私は起き、すべてのものが消えました。私は、完全に当惑していました。あの喧嘩のせいでしょうか、なぜか私の頭はいまだに痛く、頬にも痛みがありました。さらに、あの男の人と女の人の会話は、私がその夜、これ以上眠れなくなるほど、私の心を揺さぶりました。
その日の朝、私は、自分の夢について話すのを待ちきれませんでした。私の兄弟たちがそれを聞くと、大笑いをしました。それから、私の母と祖母にも話しました。私の話を聞いて、それぞれが異なった解釈をしました。私の兄弟のジュゼッペは、「おまえは、羊飼いになって、山羊や羊や家畜の世話をするんだよ。」と言いました。私の母は「分からないけど、もしかしたらあなたは司祭になるかもしれないわ。」と話しました。アントニオは、皮肉っぽく「おまえは、盗賊の頭になるかもしれないな。」と不平を言いました。しかし、信心深い無学な祖母は、「夢なんて信用してはいけないよ。」と最後に言葉を残しました。私もそれについては、同じ考えでしたが、その夢は、私の頭から離れることは決してありませんでした。私がまさに話していることは、夢に何らかの新しい見方をもたらしてくれるかもしれませんが、私はそのことを決して持ち出しませんでしたし、身内もその夢に重きをおいてはいませんでした。
しかし、1858年、私が、ピオ9世教皇様とサレジオ会の創立について話し合うためにローマに行った時、教皇様は、私に夢で起こった僅かなことでさえも話すように私におっしゃったのです。そして、初めて、私は、教皇様に9歳の時に見た夢について話しました。そして、教皇様は、私にサレジオ会の会員たちを勇気づけるために夢について詳しく書き記すようにおっしゃいましたので、私は、ローマに行くことになりました。

この夢は、ヨハネ・ボスコを18年という年月を越えて再び、連れ戻すことになるでしょう。この話を繰り返す度に、いつも新しい多くの内容が加わっていました。この新たな回想によって、ヨハネ・ボスコは、オラトリオの設立や事業の広がりだけでなく、敵の策略によって生じた妨害の乗り越え方をよりはっきりと見ていたのでした。