40 dreams of Don Bosco

若い会員の個人的な勉強です。よければ、読んでください。
Forty Dreams Of St. John Boscoから訳されるものです。月に一度更新します。

 

⑱罪のない状態は、苦行によって守られる(BM17, pp. 22)

 

人と場所

 1884年の6月に、ドン・ボスコは、一晩中続いた夢を見ました。ドン・ボスコの目の前には、巨大で美しい丘があり、その丘には青々とした植物があり、すべて滑らかでした。その丘の低いへりのところで、この草地は終わっており、また、ドン・ボスコが立っていたところの小道に入ることが出来る低い階段で終わっていました。そこは、まるで地上の楽園のようであり、太陽の光よりも純粋で輝かしい光で、きらきらと照らされていました。丘の坂は、すべて柔らかい若々しい草で覆われ、何百種類の花で飾られ、とても多くの美しい木が影を作っていました。その木は、いくつもの枝が折り重なって、まるでとても大きな花綱飾りのように伸びていました。その草地の真ん中、その丘のへりに向かって、不思議な色のじゅうたんが伸びていました。その色は、輝かしいというよりも、その光にくらまされるようなものでした。そのじゅうたんは、何マイルも幅があり、壮大で素晴らしく見えました。へりに沿って続いている帯の装飾を見ながら通ると、そこには、金色の文字で様々な銘がありました。片側からは、「汚れのない人生の旅路を終えた人々に祝福があるように」、もう片側から、「清い生活において、神は、恵みを決して拒まれないでしょう」と読むことが出来ました。三つ目には、「彼らは、災難によってもうろたえることなく、飢饉の時にも満足しているだろう」、四つ目には、「主は、純白な生き方を絶えず見守る、それは、彼らの国に永久にとどまる」とありました。大きくてきれいなバラに囲まれたじゅうたんの四つ角には、他の四つの銘がありました。それは、「神の語りは、純粋です」、「神は、純粋の内に歩む者を守られる」、「誠実に歩む者は、確信をもって歩む」、「神は、誠実に歩む者のうちにおられる」でした。そして、じゅうたんの真ん中には、次のような最後の銘が書かれていました。それは、「神は、誠実に歩んだ者を救われる」でした。

 輝かしいじゅうたんよりも高い所である丘の真ん中には、金の文字で「息子よ、あなたはいつも私と共にいる、私がもっているすべてのものはあなたのものである」と書かれていた輝かしいたれ幕がありました。

 ドン・ボスコは、この草地の光景に驚いていましたが、彼の関心は、丘が階段で終わっているところのじゅうたんの端に座っている12歳くらいの美しい2人の女の子に移って行きました。全体として品位のある女の子たちの行動には、天国にいるような節度がありました。目は、天上を見上げていて、純白な鳩のように純粋であるだけでなく、天の国のこの上ない喜びを楽しみ、純粋に愛している情熱が全面に出ていました。女の子たちの素直で穏やかな表情は、まるで、正直さと誠実さの座についているかのようでした。彼女たちの唇は、愛らしく可愛らしい笑顔になっていました。彼女たちの特徴は、寛大さと愛に満ちた心を表していました。彼女たちの人としての素晴らしい態度は、すばらしい気高さと威厳の雰囲気に満ちていて、彼女たちの若さとは対照的でした。

 純白の服は、足までの長さがあり、汚れもしわも見当たらず、わずかな小さなほこりさえありませんでした。彼女たちは、金に縁どられた輝かしい赤い飾り帯を締めていました。この飾り帯には、百合やすみれやバラで束ねられた花輪が輝いていました。首飾りも同じように花輪のものを身に着けていて、それは、同じ花で束ねられていましたが、形は違っていました。女の子たちの手首には、白いひなぎくのブレスレットを身に着けていました。

 それらのものや花の形や色や美しさは、説明し難いものでした。最も優れた技術で切られた、世界中のすべての最もきれいな石でさえ、それらに比べれば泥のように見えました。女の子たちの靴には、金が編みあわされた白いリボンが刺繍されていて、真ん中には、美しい弓がありました。少し金の糸がついた白い靴には、それを結べるようなひもが付いていました。

 女の子たちの長い髪は、額を取り囲んでいる王冠で固定され、王冠の下で巻き毛になるほど、ふさふさで肩までありました。

 

純潔を称賛する

 女の子たちは、話を始めました。交互に話し、お互いに問題を出し合い、興奮しながら叫んでいるようです。どちらとも今、座っていますが、片方は座り続け、もう片方は、立って時々、向こう側へ歩いていました。しかし、女の子たちは、輝かしいじゅうたんの外には決して出ませんしたし、草にも花にも触れませんでした。

 ドン・ボスコは、夢の中では見物人でした。ドン・ボスコは、女の子たちに向かって一言も話さず、女の子たちもドン・ボスコの存在に気が付いていませんでした。片方の子が、もう片方の子に「罪のない状態ってどんなの?」と甘い声で尋ねると、「それは、神様の掟を絶えず、正確に守ることで罪から清められる恵みが保たれる幸せな状態だよ。罪のない状態、つまり、純潔が保たれている状態は、すべての知識と徳の泉、源となるんだ。」すると、最初の女の子が「罪のない状態である純潔と道徳の規範をまだ保てていない悪い人の間で生きることは、何て、輝かしくて、栄光に満ちて、壮麗な徳なんだ。」と言いました。すると、次の女の子は、もう一人の女の子の近くまで足を上げて、「悪い人の慰めを聞かず、罪人の道を歩まず、神の掟を喜び、昼も夜も黙想する若者はなんて幸せなんだ。若者は、神様の恵みが流れる水の近く植えられた木のようで、時期になると良い働きの実がたくさん実るんだよ。風が吹いても、良い思いと功績の葉は、その木からは落ちなくて、その人がしたことはすべて良い結果を生むんだ。その人の人生の毎回の習慣が、その人の多くの報いに影響しているんだ。」と叫びました。

 そう言って、女の子は、美しい実をつけている庭の木を指しました。その木は、空気中に甘い匂いを漂わせていました。一方で、水晶のように綺麗な小川は、二つの流れを作っている土手の間を流れ、今、小さな滝のように流れ、小さなため池となり、木の幹のあたりに遠くから聞こえる神秘的な音楽のようなかすかな音を出しながら、打ち寄せていました。

 最初の女の子が『その人は、王座の間にある百合のようで、その百合は、主がご自分の庭から御心の飾りにするために集められるもので、その人は主に「私の愛する人は私を愛し、私もその人を愛する。それ故、主は、私を百合の中に植えられた」』と言うことが出来るんだ。」そう言って、女の子は、美しい百合を指しました。その百合は、草地や他の花の中で、雪のように白い杯のように育てられていて、一方で、少し離れたところには、庭全体を囲んでいるとても高い緑色の垣根がありました。この垣根は、密集した王冠で作られ、その背後には、醜い怪物がお化けのように彷徨っているのを見ることが出来ました。しかし、その怪物たちは、垣根の王冠に妨げられていました。

 すると、もう一人の女の子が加えて、「そうだよ。君の言葉はなんて正しいんだ。過ちのない若者はなんて幸せなんだ。その若者はだれだろう。私たちは、その人を讃えるでしょう。だって、その人は、自分の人生の中で偉大なことをしたんだから。その人は、完徳を目指し、永遠に続く栄光を持っているんだから。その人は、罪を犯すことができたけど、罪を犯さなかったし、悪いことが出来たけど、しなかった。だから、その人の良い行いは、主の前に積まれ、聖人たちのすべての教会は、その人の善い行いで飾られるでしょう。神様が、聖人たちを地上から引き上げるのはなんて栄光あることなんだろう。神は、聖人たちを呼び、秘義として神様の聖性のうちに彼らに場所を与えて、彼らに永遠の名を与え、決して罰することはないんだよ。」と言いました。

 すると、もう片方の女の子が足を上げて「誰が罪のない魂の美しさを表現できるの?そんな魂は、私たちの一人のように立派に天に引き上げられて、洗礼の白い宝石で飾られるんだよ。若者の首と腕には、聖なる宝石がきらきら輝いていて、指には、神との一致の指輪をはめているんだ。そして、その人は、永遠への道を輝かしく歩くだよ。それに、その人の前には星で飾られた道があるんだ。」と叫びました。

 「聖なる霊の聖櫃は生きていて、若者の血の中にイエス様の血があるから、若者の頬と唇は色づいているんだ。それで、その人のしみのない心には、聖なる三位一体の神様が共におられるから、若者は、光線を放つんだ。そして、それは、若者を太陽の輝きで覆っているんだ。花のシャワーが高い所から降り注いで、空気中は満たされるんだ。すべてに漂っているのは、天使の甘い歌声で若者の祈りが響いているんだ。そして、聖母マリアが彼を守るために、傍に立っているんだ。天国は、若者に開かれていて、その人は、自分を喜んで迎える聖人たちの大群に微笑みながら、霊に満たされるんだ。神は、誰も触れることのできない壮麗な栄光のうちに、若者のために準備された冠を右手に持ち、左手には、その人を永遠に飾るための輝かしい王冠を持っているんだ。」

 「罪のない状態は、天国への願い、喜び、称賛なんだよ。若者の顔は、言葉では言い表せない喜びで飾られているんだ。その若者は、神の子で、彼には、父なる神とその相続である天国があるんだ。その人は、絶えず神と共にいて、神を見、愛しているんだ。その人は、神を心に留め、味わっているんだ。若者には、天国での喜びの光があり、すべての神の贈り物と完徳を有しているんだ。」

 「そういうわけで、罪のない状態は、旧約聖書、新約聖書、特に、殉教者たちの内に栄光を帯びて現れるんだ。」

 「罪のない状態、君はなんて美しいんだ。誘惑に遭うと、君は、完徳が増し、謙遜になると、君はもっと高尚になる。戦いにおいて、勝利は君の前にあり、死において、君は、自分の王冠へと飛んでいく。救いにおいて、君は、自由で、危機においては、平穏で無傷なんだ。鎖につながれていても、幸せなんだ。力強い人たちが君にお辞儀をし、支配者は、君を迎え、偉大な人は、君を探し求める。良い人は、君に従い、意地悪な人は君を妬む。君の競争相手は、君と競い、敵は、君に屈する。人々が仮に、君を非難したとしても、君はいつも勝っている。」

 

 

貞潔の美しさとそれを失う人の不幸

 二人の女の子は、まるで激しい運動をした後、息を整えるかのように、急に立ち止まりました。そして、二人はお互いを見ながら、互いに手を握り、続けて言いました。

 「ああ、もし、その若者が罪のない状態がいかに貴重は宝物であるかを知っていたら、彼らは、人生の始まりからすぐに、聖なる洗礼でのストラをどれだけ熱心に守ることだろう。でも、不幸なことに、彼らは顧みることなく、それを汚すことの意味も想像していないんだ。」

 「罪のない状態は、もっと貴重なお酒なんだ。でもそれは、弱い肉体という容器の中に入っているんだ。」

 「罪のない状態は、とても貴重な宝なんだけど、その価値は知られていないんだ。それは、失われるもので、簡単に価値のないものに変わってしまうんだ。」

 「罪のない状態は、神の姿を映す金色の鏡なんだ。でも、湿っぽい息で曇ってしまうから、ベールで覆って守らないといけないんだ。」

 「罪のない状態は、百合なんだ。」

 「でも、ただ手で荒っぽく触るだけで、駄目になってしまうんだ。」

 『罪のない状態は、「あなたの衣服は、いつでも白く輝いている」と言われる白いローブ。』

 「でも、一つの汚れで駄目になってしまうんだ。だから、最大の注意を払って歩かないといけないんだ。」

 「罪のない状態は、無傷な状態なんだ。もし、一つの罪で駄目になれば、失われてしまい、美しい宝を失うことになるんだ。」

 「たった一つの死に至る罪で十分なんだ、罪のない状態は、すぐの失われる、永遠にそうなんだ。」

 『毎日、多くの人が罪のない状態を失っているなんて、なんてかわいそうなんだ。一人の男の子が罪に落ちると、天国は閉まってしまう。マリア様も守護の天使も消えてしまう。音楽は止み、光は消える。神様は、男の子の心にはおらず、男の子が歩いていた星のように輝いていた道は、消えるんだ。男の子は、落ちて行き、海の真ん中に浮かぶ島のような場所に留まるんだ。そこは、火の海で、永遠から最も遠いに地平にあって、混沌とした深いところがあるんだ。男の子の頭の上には、闇に覆われた空があって、聖なる正義の光が脅すように光っているんだ。悪魔が急に男の子の前に現れて、鎖をつけ、恐ろしく醜い鼻を上に向けて、男の子の首に足を置いて、叫ぶんだ。「俺が支配するぞ。あんた子は、俺の奴隷となった。この子は、もはやあんたのものじゃない。もし、あの時、神の正義が男の子を助けるために、あの場所から運び去っていたら、男の子を永遠に捕まえ損なっていたぞ。」』

 「でも、その男の子は再び立ち上がることができるんだ。神のいつくしみは無限なんだ。良い赦しの秘跡によって、神の恵みと神の子としての称号を取り戻せるんだ。」

 「でも、男の子は、もはや罪のない状態ではないんだ。最初の罪が結果としてもたらしたものが、男の子の中に留まるんだ。彼は、前まで知らなかった邪悪さを知っているんだ。彼は、自分の基本的な傾きがどれほど恐ろしいかを知り、聖なる正義である神様と結んだ多くの負債を感じるだろう。霊的な戦いにおいて、男の子は弱いんだ。男の子は、かつて決して経験したことのない、恥や悲しみや痛悔の念を感じるんだ。」

 『そして、前に自分が言われていたことを思い出すんだ。「小さな子どもが私のところに来るのを妨げてはならない。子どもたちは、まるで、天国にいる神の使いのようだから。」「子よ、私に神の思いを預けよ。」

 

「恥ずべきことをもたらす者に災いあれ!」

 『一人の子どもがその罪のない状態を失ってしまう悪行を通じて、悪党たちが行うことは、なんて、おそろしい行為なんだ。イエス様は、「私を信じている小さな者の一人でも軽んじる者は、石うすを首に掛けられて、海の底に沈められたほうが良い」と言っている。恥ずべき者たちの故に、世界に災いあれ!でも、その恥ずべき行いは避けられないんだ。だって、その子のせいで、その恥ずべき行いがもたらされるんだから。これらのどんな小さな者も見下さないことを分かって。だから、君に言いたい。天国にいる小さな者たちの天使たちは、いつも天国にいる父の顔を仰ぎ見ている、そして、天使たちは、敵討ちを求めるんだよ。』

 「恥ずべきことをもたらす者は、不幸だ。でも、自分自身の罪のない状態を奪い去られることを許した者たちよりは不幸ではないんだ。」

 

罪のない状態を守るための方法

 そこで、二人の女の子は、歩き始めました。彼女たちの会話の中心は、罪のない状態を保つための最も良い方法についてでした。一人の女の子が言いました。

 「男の子たちが犯した最も大きな誤りは、苦行は、罪人だけが行わなければならないと思っているところだよ。苦行は、罪のない状態を守るためにも必要なんだ。もし、聖アロイジオが苦行をしなかったなら、確実に死に至る罪へと陥っていただろうね。このことは、子どもたちに常に教えられなければならないことだよ。どれだけ多くの人が罪のない状態を保っていたことだろう。でも、今は、ほんのわずかな人だけだよ。」

 「使徒たちも自分たちがいるところではどこでも自分たちの体の内に、イエス・キリストの苦しみ味わなければならないって言っていたね。」

 「そして、神聖で罪のないイエス様は、ご自分の生涯の中で、困難と苦しみを過ぎ越されたんだよね。」

 「聖母マリア様、聖人たちもそうだったんだよ。」

 『すべての若者たちの教訓として伝えたいね。聖パウロは、「仮に、あなた方が肉に従って生きるなら、あなたは死ぬだろう。しかし、仮に、あなた方が霊に従って生きるならば、肉への傾きに打ち勝ち、生きるだろう」って言っているんだ。』

 「つまり、苦行なしに、罪のない状態は、保つことはできないということだね。」

 「そう。でも、多くの人は、自由で楽な人生を送りながら、罪のない状態を保ちたいって思っているんだ。」

 『そんな。「彼の魂が悪意に汚されず、彼の心が誘惑によって間違った方へと導かれなかったので、彼は取り去られた」と書かれていないかい?だって、慢心という魔力は、何も良いことをもたらさないし、強欲の渦は、罪のない魂を溺死させるんだよ。だから、罪のない状態には、二つの敵がいるんだ。一つ目は、世の中での間違った生き方と不道徳な人の悪い会話、二つ目は、強欲なんだ。主は、若い年齢で亡くなることは、罪のない状態人にとって、戦いから取り除くために与えられる報いだって言っていないかい。「神に喜ばれていた人がいた。彼は神から愛され、

罪人の中で生活していたとき、天に移された。彼は短い間に完成され、長寿を満たした。彼の魂は御心に適ったので、主は急いで彼を悪の中から取り去られた。悪が心を変えてしまわぬよう、偽りが魂を惑わさぬよう、彼は天に召された」(知4:10-14)って。」

 『苦行の十字架を受け入れる子どもたちはなんて幸せなんだ。その子たちは、固い決心をもってヨブと一緒に、「私は死ぬまで、罪のない状態から離れない」って言うんだ。』

 『だから、祈りのうちに弱さに打ち勝つ苦行についてこう書かれているんだ。「私は、汚れのない方法で賛美し、悟ります。あなたは、いつ来られるのですかと尋ねれば、あなたはすぐに受け止めてくださいます。おお、私たちの父よ。」ってね。』

 『自分自身を低くする賢い人の苦行、つまり、長上や規則に従うことについても、こう書かれているんだ。「あなたの僕を支配されないようにしてください。そうすれば、わたしは完全になるでしょう」(詩18【19】:14)ってね。だから、この罪深い支配者は、思いあがっているんだ。「神は、高慢を打ち倒し、謙遜の恵みを与えた」つまり、「自分自身を低くする者は、賛美され、賛美された彼は、謙虚になっていく」んだ。』

 「長上への従順」

 「いつも真実を伝えるという苦行、それは、その人が見出した自分の欠点や危険性を明らかにするときに行われるんだ。そして、その人は、いつも適切な助言を特に、その人の聴罪司祭から受けるんだ。自分の魂への配慮のために、真実を語ることに恥ずかしがってはいけないんだ。赤面には、真実を語ることによって罪をもたらすものと、栄光の恵みをもたらすものがあるんだ。」

 『心への苦行、それは、考え方や行動を確認すること、神の愛のためにすべてを愛すること、自分たちの罪のない状態を危険に晒すと思われるどんな人からも断固して自分自身を引き離すことなんだ。イエス様は、「もし、あなたの手足があなたに罪を犯させたのであれば、それらをあなたから切り捨ててしまいなさい。両方の手足を持って永遠の火に投げ込まれるよりも、どちらかの手足を失って命へと入る方がよい」って言ったんだ。』

 『苦行は、人からの尊敬されることを軽んじることに勇敢に素直に耐えることのうちにあるんだ。「彼らは、言葉を剣のように磨いている。つまり、定義できないものを隠すことよってないものにするために、弓を引いている」ってね。』

 『この人からの尊敬、それは、軽んじられるものである一方で、長上によって明らかにされることを恐れるもので、イエス・キリストの恐ろしい言葉を思い起こすことで得られるんだ。「私と私の言葉を恥じれば、人の子が権威を得るときに、その人を恥じるだろう」ってね。』

 「目への苦行は、悪い影響を与える不適切な内容を見たり、読んだりすることを避けることなんだ」

 『大切なポイントは、自分は、女の子は決して見ないと自分の目と約束することなんだ。だって、詩編には、「価値のないものを見ないように、目を逸らしなさい」ってあるんだから。』

 『耳への苦行は、決して、悪くて、不純で、不信心な会話を聞かないということなんだ。コヘレトの言葉で私たちは、「王冠の縁をあなたたちの耳に当て、邪悪な言葉を聞かないようにしなさい」って読んだからね。』

 「話についての苦行は、好奇心に打ち負かされないようにすることなんだ。」

 『それについては、「自分の口に扉と締め釘をつけなさい。あなたに敵対する敵の前で地に落ち、救いがたく、死に至る罪に陥らないように、言葉によって罪を犯さないように気をつけなさい」って書いてあるよ。』

 「飲食についての苦行は、食べすぎも飲みすぎもしないことなんだ。食べすぎや飲みすぎは、地上にまで大きな洪水をもたらすことになって、ソドムとゴモラに火が降り、ヘブライ人への何百もの罰が起こるんだ。」

 『短く言えば、一日の間で起こるすべてにおいて自分自身を苦行させるためなんだ。寒さ、熱さにおいて、決して個人的な満足を求めてはいけないんだ。「自分の手足に苦行をさせなさい」ってね。イエス様が、求められたことを思い出して。「私の後について来たいものは、自分自身を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」って。』

 

聖餐の秘跡とマリア信心

 『神様ご自身が、ご自分のみ摂理の手を伴って、ヨブやヨセフやトビトや他の聖人たちにしたように、十字架と茨の冠をもってご自分の罪のない状態を取り囲んでいるんだ。「あなたが、神に受け入れられたから、試練に遭うことは必要なんだ」。』

 『罪のない状態に至る道には、試練と苦行があるんだ。でも、その道は、ミサの中でその力を得るんだ。だって、その人は、たくさん永遠の命である神様と話をするからね。その人は、イエス様の内にいて、イエス様も、その人の内にいるんだ。イエス様と同じ生き方をした人は、最後の日に、イエス様によって引き上げられるんだ。それは、厳選された麦であり、汚れの含まれていないワインなんだ。「あなたは、私を悩ませる彼らに抵抗して、ご自分の前に会食を整える。百人という人があなたの傍にいて、一万人の人があなたの右側にいる。しかし、彼らは、あなたに近づこうとはしない」。』

 『そして、その人に愛されている、最も甘美な聖なるおとめは、その人の母となるんだ。「私は、愛と敬虔、知識、聖なる希望の母である。その道に至るすべて恵み、その真理のすべて恵みは、私の内にあり、その生き方と徳のすべての希望も私の内にある。私は、自分を愛するものを愛す。私を説得させようとする彼らは、永遠の命を持っている。ある軍隊のように配列から始まることは恐ろしさをもたらす。」

 二人の女の子は、向きを変えて、ゆっくりのスロープを上って行き、二人のうちの一人が、大声を上げました。

 「神は、私をその御力で守ってくださる。」もう片方の子も「そして、私の歩んだ道を染みのないものとしてくださる。」と続けました。

 二人の女の子は、輝かしい絨毯の真ん中に着くと、振り返りました。

 「そう。」一人の女の子が叫びました。「苦行によって飾られた罪のない状態は、諸徳の女王なんだ。」そして、もう一人の女の子が言いました。

 「汚れのない世代は、なんて栄光に満ちて、美しんだろう。その記憶は、神と人間に知られるんだ。その世代が現れると、人々はそれを真似して、その世代が意気揚々と天に旅立ち、その世代の貞潔の戦いの報いを勝ち取りながら、永遠のうちに冠を受けた時、人々は、その世代に願うんだ。」

 「多くの戦いの後、称賛の中で、何という勝利、何という神の前に現れる罪のない状態、洗礼のストラ、何という讃美歌と天上の主人たちの豪華さ」

 二人の女の子が、苦行によって守られた罪のない状態のために用意された報いについて話している一方で、ドン・ボスコは、一群の天使たちが現れるのを見ました。その天使たちは、輝く白いカーペットを下りて、ずっと真ん中に留まっている二人の女の子の中に加わりました。その一群の数は多く、彼らは、歌い始めました。

 「私たちの主、イエス・キリストの父である神が賛美されますように。神は、ご自身の内の世の初めから私たちを祝福された方。それ故、私たちは、神の目に聖なる者となり、貞潔のうちに汚れのないものとなるでしょう。神は、私たちをキリストを通して、子とすることを予めご計画になったのです。」

 

罪のない状態への賛歌

 すると、二人の女の子が、最も真ん中に近かった天使たちだけが出来たような言葉と音で素晴らしい賛歌を歌い始め、また、他の者たちも歌っていました。しかし、彼らが、まるで歌っているかのように身振り手振りをしたり、唇を動かしたり、口を形作っていましたが、ドン・ボスコには、彼らの声を聴き取ることが出来ませんでした。二人の女の子は、「あなたは、私を罪のない状態の故に引き上げ、あなたの目に私を永遠にとどめてくださった。永久に神は、賛美されますように。そうなりますように。そうなりますように。」と歌いました。

 一方で、天使たちの最初の一群に他の群れが加わり、数はますます多くなりました。彼らの服は、様々の色と飾りが施されていて、それぞれが、特に、二人の女の子たちとは違っていました。しかし、たくさん飾られ壮麗な者は、聖なる者でした。天使たちのそれぞれの美しさは、人間の頭では、その陰も想像できないほどのもので、この光景の全体も書き表せないものでした。しかし、言葉に言葉を重ねれば、少なくともそれについて不完全な形でも表現することが出来ました。

 二人の女の子が歌うのをやめると、共にいた者たちも、一緒に一つの大きな賛歌となるように聞いていました。その調和は、決して地上で同じように聞けるものでも、これからも聞けるものでもありませんでした。彼らは、「あなたを罪のないように守り、私たちの主イエス・キリストが来られる日に、大きな喜びと共に神の栄光が現れる前に、あなたを汚れのない者にすることのお出来になる方、唯一の神、私たちの救い主、イエス・キリストを通して、国と力と栄光は、世々限りなく、アーメン」と歌いました。

 彼らが、歌えば歌うほど、多くの天使たちが絶えずその群れに加わり続け、賛歌が終わると、徐徐に、彼らは、全員に天に昇っていき、消えてしまいました。そして、全体の光景も消えていきました。

 

⑯聖ドミニコ・サヴィオについての夢(BM12, p. 586)

 

これは、ヨハネ・ボスコが1876年に見た夢であり、ドミニコ・サヴィオが亡くなって二十年後のことでした。

 

 1月6日の夜、私は夢を見ました。私は、丘の上に立っているようでした。見下ろすと広大な平原が見えないところまで広がっていました。それは、とても穏やかな海にように青かったのですが、私が見たものは水ではありませんでした。それは、傷のない輝いた水晶のようでした。

 平原には、言葉では言い表せないほど美しい大きな庭へと向かっていく広くて長い道が、いくつもありました。そこには、芝生や飾られた木のある小さな森、低木や驚くほどに飾られたいろいろな花のある花壇がありました。これらのものがいかに素晴らしかったかは、皆さんが花壇で見ているものからは想像できないでしょう。木の葉は、金のように見えましたし、枝や幹も宝石のようでした。

 いつくかの建物が庭に散在していましたが、その様相と壮大さは、建物が立っている風景に相応しいものでした。私は、これらの建物の一つでさえ、どれほどの費用が掛かったかを推測することはできませんでした。ある考えが私の頭をよぎりました。「もし、私が男の子たちのために他の建物のどれか一つを手にすることが出来たら、どんなに喜んでくれるだろうか。」

 私はそこに立ったまま夢中になっていました。空気中は、美しい音やうっとりさせる音楽で満たされていました。すべての楽器が、美しい調和のうちに結び合わさっており、それに、コーラス隊が合わさっているようでした。

 そのとき、私は、庭にとても多くの人がいるのを見つけました。ある人は歩いており、また、ある人は座っていて、全員、にこやかで幸せそうでした。ある者は歌い、ある者は、楽器を奏で、自分自身で奏でる音楽に喜びを得るだけでなく、他の人が奏でる音楽に対しても同じでした。彼らは、ラテン語で「全能の父であり、歴史を形作り、すべての時におられ、世々に生者と死者を裁かれる神にすべての誉と栄光がありますように」と歌っていました。

 そこに突然、大勢の男の子たちが現れました。多くの男の子たちを私は、知っていました。その子たちは、オラトリオや私たちのいずれかの学校にいたからです。しかし、大半の男の子たちを私は知りませんでした。ドミニコ・サヴィオを先頭としたこの終わりのない列が、私に向かってきました。彼の後には、何名かの司祭と多くの他の司祭と兄弟が男の子たちの群れの先頭にいました。

 私は、自分が目覚めているのか、夢を見ているのか分からなかったので、手を叩いてみたり、腕や胸を触って自分が見ているものが現実なのか理解しようと努めました。

 するとすぐに、輝かしい光が周りを照らしました。男の子たちは、全員、幸せそうに輝いていました。その光は、彼らの目から出ていて、顔は、言葉にできないほど、平和と安らぎに満ちているようでした。男の子たちは、私を微笑みながら見つめていて、何かを言おうとしていましたが、その言葉は、全く聞こえませんでした。

 ドミニコが、自ら歩いてきて、私の近くで立ち止まりました。彼は、一瞬、静かにそこに立って、私を微笑みながら見つめていました。なんと美しい容貌、なんと優美な服でしょう。彼の足まで届いている白い服は、金の糸と輝かしい宝石で織り合わされていました。腰の周りには、幅の広い赤い飾り帯が付いていて、何百もの光に輝く様々な色をした宝石が織り合わされていました。首の周りには、野の花、花といっても宝石で作られており、その宝石が放つ光は、ドミニコ・サヴィオの顔の美しさと品位を照らしていました。バラで編まれた彼の髪は、肩まで伸び、彼の容貌は、言葉にできないほど見事でした。他の子たちも様々なききらびやかな服装をしていました。全員、独自のシンボルを持っていましたが、君たちにはおそらく分からないでしょう。彼らが共通に持っていたものは、腰回りに着けていた幅の広い赤い飾り帯でした。

私は、自分自身に問いかけました。「これは一体、何を意味しているのだろうか。私は、どこにいるのだろうか。」

私は、静かにそこに立ち、あえて何も言いませんでした。すると、ドミニコが口を開きました。

  「どうして、物が言えない人のようにそこに立っているのですか。あなたは、私が知っている人ではないかのようです。あなたは、いつも恐れを知らず、多くの虐げや中傷、危険に屈しない人ではありませんか。勇気を失ったのですか。なぜ、話さないのですか。」

私は、半分どもりながら答えました。

  「何を言えば良いか分からないのです。あなたは、本当にドミニコ・サヴィオ君ですか。」

  「はい。そうです。僕のことを覚えていませんか。」

  「どうして君はここにいるんだい。」ドミニコは、愛情を込めて優しく答えました。

  「あなたと話すために来ました。私が生きている時、私たちは、よく一緒に話をしましたね。

あなたは私にいつも親切で寛大でした。私は、あなたの愛に全幅の信頼と愛情をもって答えました。あなたが望んでいることなんでも私に聞いてください。」

  「私はどこにいるんだい。」

  「あなたは、幸せに満ちた場所にいます。すべてが美しく、喜びに満ちています。」

  「では、ここは天国ですか。」

  「いいえ、確かに、神の力によって遥かに良いものとなっていますが、ここにあるものは何であれ地上にあるものです。生きている人は誰も永遠というすばらしいものを見ることも、ましてや、想像することも出来ません。」

  「この光以上に輝いている自然的な光を見ることが出来るのですか。」

  「はい、出来ます。その場で、あそこを見てください。」

 私が見ると突然、光線が現れ、とても眩しい光が指し込みましたので、私は、目を閉じなければなりませんでした。私が大きな叫び声をあげましたので、近くの部屋で寝ていた司祭を起こしてしまいました。その後、私は目を開いて言いました。

  「あれは、確かに、自然を超えた光線だったが。」

  『いいえ、あの光線でさえあなたには分かりません。天国において、私たちは「神を楽しむこと」、それがすべてです。」

 私は、今になって最初の驚きから落ち着いて、私の前に立っているドミニコを見つめて。言いました。

  「君はどうしてその眩しい白い服を着ているんだい。」

 ドミニコは答えませんでしたが、多くの楽器に支えられて聖歌隊が、ラテン語で「彼らは、獅子の帯を締め、神の子羊の御血で自らの服を洗う」と歌いました。そして、私は、尋ねました。

  「君が付けている赤い飾り帯は何を意味しているんだい。」

 ドミニコは、再度、答えませんでしたが、ある声が「彼らは、清いものであり、神の子羊が行くところにはどこにでも行く」と歌いました。

 その時、私は、血のように赤い帯が、完璧に清い生活を送るために多くの努力と犠牲を行ったシンボル、殉教に似た事柄を被ったシンボルであり、また、魂をその過ちから清くする償いのシンボルであることに気が付きました。服の輝かしい白さは、洗礼から死に至るまで、神を退けるような大きな事柄がなかったことを表していました。

 私は、ドミニコの後ろに列を作って集まっている男の子たちに目が行き、ドミニコに尋ねました。

  「あの男の子たちは誰だい。どうして、みんなとても輝かしくてまぶしいんだい。」

 答えは、男の子たちから返ってきました。彼らは、素晴らしいハーモニーで、「この子たちは、天国では、神の使いのようだ」と歌い始めました。

 ドミニコは、一番、若いにもかかわらず、明らかに先頭にいて、彼らよりも目立てたので、彼に尋ねました。

  「どうして君は、他の子たちよりも先頭にいるんだい。」

  「私が、一番年長者だからです。」

  「いいや、君はそうではないよ。君よりもっと年上の子がいるよ。」

  「私は、神の使いなのです。」

 私は、これまでの出来事が何を意味するか分かり始め、すぐに言いました。

  「私が関心のあることと私の事業について話をしよう。おそらく、君は、大切なことを私に伝えようとしてくれているのだね。私の事業と私の愛する子どもたちについて、過去のこと、今のこと、そして、未来のことを話してくれないかな。」

  「過去のことについて言えば、あなたの修道会は、とても良いことを行いました。男の子たちがたくさん集まっているあそこを見てください。」

 私は、見て彼に言いました。

  「男の子たちの数がなんて多いんだ。なんて幸せそうなんだ。」。

  「庭の入り口に書かれている言葉を見てください。」

 私は書かれていることを見て、理解しました。

 

サレジオ会の庭

  「そこにいる人たちは、サレジオ会員、あなたやあなたの子たちに育てられた人たち、何等かの方法で、神や救いの道に導かれた人たちです。出来るなら数えてみてください。もし、あなたが、もっと神を信じ、信頼を寄せていたならば、その数はさらに増えたでしょう。」

 私は、この忠告を聞いて深くため息をつき、これから、神に全き信頼を寄せることを決意しました。

 ドミニコは、私の前に素晴らしい花束を持って来ました。その花は、バラ、すみれ、ひまわり、ゆり、常緑樹の枝、最も珍しかったのは、小麦の穂の束でした。彼は私の前に差し出して言いました。

  「見てください。」

  「見ているよ。ただ、私には、何のことわからないな。」

  「あなたのすべての子たちに、これを持もつように、そして、それを奪おうとするあらゆる者から勇敢にそれを守ることを言ってください。これらの花を持っていれば、彼らが不幸になることは決してありません。」

  「まだ、私には分からないな。説明してくれるかい。」

  「これらの花は、子どもたちが自分自身のためではなく神のために生きることが出来るために必要な徳と性格を表しています。バラは愛、すみれは謙遜、ひまわりは従順、りんどうは、苦行と節制、とうもろこしの穂は頻繁な聖体拝領、ゆりは純潔、常緑樹の枝は忠実と堅忍のシンボルです。」

  「誰も君以上にこれらの花で飾られている人はいないよ。君が死ぬ時の大きな慰めとなったものを教えてくれるかい。」

「何だと思いますか。」

 私は、何度も自分がこれだろうと思うものを言ってみました。たとえば、清い生き方、善い行いをして、天にたくさんの富を積んだことなどでしたが、すべてに彼は、笑顔で頭を振りました。

私は、外れたことにがっかりして言いました。

  「そろそろ、それが何だったか教えてくれないかい。」

  「僕が死ぬ前に大きな慰めと喜びを与えてくれたのは、神の母の愛と助けです。あなたの子どもたちに伝えてください。自分たちが生きている間、彼女のもとに居続けることを怠らないようにと。まだ、質問があれば急いでもらえますか。そろそろ時間が来てしまいますから。」

  「未来について教えてくれるかい。」

  「あなたには、耐えがたい大きな悲しみが襲う時が来るでしょう。あなたの息子たち8人が同時に亡くなるでしょう。しかし、気を確かに持ってください。彼らは、この世の生活から天国へと旅立ちます。神はいつもあなたと共におられ、あなたに彼らを同じように価値のある子どもたちを送ってくださるでしょう。」

  「サレジオ修道会について、教えてくれるかい。」

  『神は、修道会に対して偉大なことを取っておかれています。世界全体、北から南へ、東から西へと広がる出来事が起こる年がくるでしょう。これは、未来における大きな発展の一つにしか過ぎません。しかし、これは、あなたの子どもたちが自分自身ではなく、神の道と計画にとどまっているという条件もとで為され得ることです。「もし、あなたの司祭たちが、神が示すその使命と生き方に忠実であるならば、サレジオ会の未来は、驚くべきものとなり、会を通して神へと導かれる人の数は、数えきれないほどになるでしょう。そこには、一つのとても大切な条件があります、つまり、それは、あなたたち全員が、神の母の下に留まり、自らの模範によって恐れなく、純潔な生き方の尊さを表すことです。それは、神にとても喜ばれることです。」』

  「教会全般についてはどうかな。」

  「教会のために何をとっておかれているかは、神だけがご存じです。これらのことは、神ご自身が秘めておられることで、あらゆる被造物に対して前もって伝えることのできないものです。」

  「ピオ9世教皇様については。」

  「私が話させることはたくさんあります。教皇様は、地上で長く耐える必要はありません。神は、教皇様の誠実な奉仕に報いてくださいます。教会は、今の困難で沈むことはないでしょう。」

  「私については。」

  「あなたには、まだ、たくさんの悲しみと困難が待ち受けています…。急いでください。私が、話の出来る時間がもうすぐ終わってしまいます。」

 私は可能な限り、ドミニコを引き留めるために手を伸ばしましたが、ただ空気を掴んでいただけでした。ドミニコは、笑いながら言いました。

  「何をしようとしたのですか。」

  「君に行って欲しくないんだ。ただ、君の体はここにあるのかい。君は、本当にドミニコ・サビオ君かい。」

  「これが物事の在り方です。もし、神のみ摂理のうちに、亡くなった人が、まだ生きている人に自分を現わさなければならない場合、その人は、普通の肉体的な外見を持っていて、はっきりとその人と判断できるように見られるのです。しかし、その人は、全くの霊なので、肉体に触れることはできません。その人は、復活の時に自分の体と結びつくまでは、この肉体的な外見を保っているのです。」

  「最後にもう一つ。私の子どもたちは全員、神の子として生活しているかい。子どもたちをもっと助けるために私が出来ることを教えてくれないかい。」

  「あなたの子どもたちは、三つのグループに分けられます。この三枚の紙にどういうグループを示しています。」

ドミニコは、私に最初の一枚を私ました。そこには、大きな文字で次のように書かれていました。

 

打ち負かされなかった子どもたち

この紙には、悪魔に決して打ち負かされなかった子どもたちの名前が入っていました。私は、目の前で彼らを見ることが出来ました。多くの子たちを私は知っていましたが、初めて会う子たちもたくさんいました。私は、いかにその子たちが、多くの困難な危険に直面したにもかかわらず、恐れることなく、ひるむことなく神に自らの命を捧げたかを理解しました。それは、まるで、困難や危険が、ある道にいて絶えず待ち伏せしており、集中砲撃によってその子たちを妨害し、苦しめようとしていたが、彼らは、倒れることもなく怪我することもなかったかのようでした。

 ドミニコは、私に二枚目の紙を渡しました。それには、大きな文字で次のように書かれていました。

傷を受けた子どもたち

 この紙には、神にひどく抵抗し、旅路でひどく傷ついた子どもたちの名前がありましたが、その子たちはバランスを立て直し、その傷を良いゆるしの秘跡と聖体拝領で癒しました、度々、願うようになりました。一方で、何人かの子どもたちは、自らの経験によって失望している様子でした。その子たちの数は、最初の紙よりも多く、私は、全員を見て、一度で、大半の子たちが誰だか分かりました。

 私は、書かれていることが想像できた三枚目の紙を手で開きました。

 

悪魔に打ち負かされた子どもたち

 紙には、大きな罪によって神を拒絶し、それを続け、神との関係を断った状態に満足している子どもたちの名前がありました。私は、誰がそのような子なのか知りたくてとても心配になり、ドミニコから三枚目の紙を受け取ろうとしました。彼は、真面目な態度で私に言いました。

  「待ってください。あなたが、この紙を開くと、あなたも私も耐えられないほどのひどい悪臭を発します。それは、神の使いも神ご自身も耐えられないかのようなものです。」

  「どうしてそうなるんだい。神の使いたちも神も純粋な霊じゃないかい。」

  「それは、あなたが、自分自身と嫌悪を感じさせるものとをの距離を可能な限り置きたいと願うほど、大きな罪によって神を拒絶する子たちは、ますます神から引き離されたことを意味しているのです。」

 そして、ドミニコは、紙を私に渡して言いました。

  「それを見て、あなたの子どもたちのために大いに役立ててください。花束のことを決して忘れないでください。全員がそれを持っているように、決してそのままにしておかないように強く言い聞かせてください。」

そう言って、ドミニコは、私から彼の後ろにいた群れのところへと遠ざかりました。

 紙を開きましたが、どの名前の子も見えませんでした。しかし、きらめきの中で、私は、目の前で紙に書かれた名前の子たち見ました。私は、その子たちを見て重い気持ちになりました。彼らのほとんどを知っていたからです。彼らは、オラトリオや私たちの学校の別のところに所属していました。彼らのほとんどが基本的に良い子たちを思われ、何名かは、優秀な子たちの中にいる子とさえ思われていました。その子たちは、それとはとてもかけ離れていました。

 紙を開けるととてもひどい悪臭が漂い始めました。私は、その悪臭に自分の頭を完全にやられてしまい、苦しいほど痛み、吐き始めました。それは、自分が死んでしまうのではないかと思うほどでした。

 すべてが暗闇に包まれ、その光景はそれ以上見えなくなりました。雷の突き破るような光が空を駆け巡り、雷鳴の恐ろしいとどろきが、私の耳に鳴り響き、私は怖れの余り震えながら起きました。

 あの悪臭は、まだ壁沿いの天井や家具などに数日間、私の部屋に漂っていました。神に対して嫌悪感を引き起こすものは、まさに、神を拒絶し、身勝手さの恐ろしさに自らの身を任せた子たちの名前だったのです。

 その悪臭の記憶を思い出す時はいつでも、再度、痛みを覚え、吐き気を感じ、吐くのを自制することが難しいほどでした。

 私は、その紙に書かれていた名前の子たちと話しましたが、確かに、自分が見た夢の内容は本当だったと確信にしました。

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ドン・ボスコから愛された子ども ドミニコ・サヴィオ

 

ドミニコ・サヴィオは、1842年にキエリのリヴァで生まれた。7歳にして初聖体を受け、霊的な事柄を愛するその情熱によって、彼は以下の決心を立てた。

 1. これから自分の友達は、イエス様とマリア様

 2. 罪よりも死を

 学校でドミニコは、徳と勤勉さの素晴らしい模範として輝いていたが、小学校の高学年の過程の終わりに、ドミニコは、神からの呼びかけに応えるために、父親の家から旅立った。

 

 この出会いの光景は、まさに感動的です。ドン・ボスコ自身が、この天使のような若者の生涯について私たちに書き記しています。ドン・ボスコは、すぐにドミニコの魂が、すべて神に捧げられていることに気が付き、「聖人を形造る良い素材がここにある」と叫びました。

 その日から、ドミニコは、ドン・ボスコに信頼し、すべてを委ねました。ドン・ボスコも同様に、ドミニコを新しい聖アロイジオとして形造りました。ドミニコは、聖人になることを決心しました。彼のドン・ボスコへの絶え間ない祈りは、「神父様、僕が聖人になれるように助けてください」でした。ドミニコは、度々の自分の魂の願いを明らかにしました。それは、「僕が自分のすべての友達と共に神様のもとに近づくことが出来たら、こんなに幸せなことはない」という言葉と共に善い行いによって他の子を助けるためでした。彼は、言葉だけでは満足しませんでした。彼の祈り、会話、勉強、遊びさえも輝かしい模範、聖なる使徒職の生き生きとした学び舎でした。彼の助言、忠告、祈り、とりわけ、苦行は、友達を悪魔から引き離し続け、神のもとにより近づけるという唯一の目的に向けられていました。

 ドミニコは、何度もミサの間、至福のうちに夢中になっていました。彼は、自分の心を無原罪の聖母に捧げていました。

 

ドミニコの幸福な死

 神の恵みによる輝かしい花、熟れた実りは、長くこの世に留まることはできませんでした。それは、すぐに天国に刈り取られました。そのため、ドミニコの心のうちにあった輝かしい望みは、絶望に覆われました。彼のこの世を去るときが迫り、永遠の光の夜明けが近づいていたのです。

 ドミニコは、自分の命があと数日であることに気が付くと、笑顔で自分の死を喜んでいました。1857年3月9日、アスティのモンドニオで、神のみ摂理が、ドミニコにその時を知らせ、「なんて美しい光景なんだ」という叫びと共に亡くなりました。彼は、15歳でした。

 ドミニコの遺体は、トリノの扶助者聖母聖堂にあります。

 ドミニコの死の後、ドン・ボスコは、彼の生涯について話を書きました。その生涯は、取り次ぎを通して与えられた奇跡と特別な熱意によって若者が栄光のうちに入ったことによって、神に喜ばれました。ドミニコは、1954年に列聖されました。

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獰猛なカラスと心の傷を癒すもの(BM7, pp. 391~393)

 

ルフィーノの記録には、1か月以上に渡って、ドン・ボスコがしつこい目の不快感に悩まされて黒い眼鏡を着けざるを得なかったことを伝えている。しかし、ドン・ボスコは、働き、司祭や若い神学生たちに自分と同じようにするように促していた。『元気を出しなさい。真心をこめて若者たちのために働こう。神の栄光と魂の救いのために私たちが出来ることはすべてしよう。私たちには、天国で「あなたの受ける報いは非常に大きいだろう」(創15:1)とアブラハムに約束されたものと同じ大きな報いが待っている。同時に、私たちは、不快感によって疲れ、苦しめられている。しかし、私たちは、気を取り戻さなければならない。なぜなら、私たちは、天国で永遠に休むのだから。』そして、ドン・ボスコは、右手を挙げて、主に全く信頼するような士草で、天国を指した。

 

富は誘惑

 ドン・ボスコの協働者は、度々、神のみ摂理によっておそらく彼らに任せられたであろう活動分野について話し合っていた。1864年4月3日のとある機会に、話し合いは、貴族家庭の息子たちのための寄宿学校を建設するための候補日の話へと移っていった。すると、ドン・ボスコがそえを中断した。「いけません。私が生きている限り、いけません。たとえ、私が手助けできるとしても、決していけません。仮に、それが行政上の問題だけであるならば、私たちは、それを検討したかもれませんが。もしそうでなければ、それによって、金持ちとの関係を断って、貧しい人と共に始めた多くの素晴らしい修道会が破滅したように、私たちの活動も台無しになってしまうでしょう。その結果、金持ちたちは、妬んだり、嫉妬したりして、修道会にとって代わるものを企てるでしょう。富と金持ちと親しくすることは同じ誘惑です。もし、私たちが貧しい子どもたちのために働き続けるならば、私たちは、平和のうちにとどまるでしょう。それ以外の理由がないがために、ある人は、同情のうちに忍耐し、またある人は、私たちを称賛するかもしれません。誰も私たちの財産をむやみに欲しいとは思わないでしょうし、金持ちたちは、私たちのぼろ切れを望んではいません。」

 

黙想会

 4月4日、ドン・ボスコは、4月11日から、年度の黙想会が始まることを男の子たちに知らせた。彼の話の要点は、以下通りである。『良い黙想を行うために、あなたたちは、準備をしなければなりません。もし、今、明確な計画を立てていないならば、あなたたちの黙想会は、ただの写真のフラッシュのように一瞬で終わるでしょう。ある人は、「睡眠を取り戻そう」、もしくは、「いくつか興味のある本を読むこと、もしくは、口を閉じたまま楽しそうに何かを食べることを費やそう」、または、「いくつかの科目の復習をしよう」と言うでしょう。別の人は、「私は、霊的な実りを得たい、自分の召命について考えたい」と言うでしょう。それが、賢い考えです。私たちは、他の人に何と言うことが出来るでしょうか。私たちは、何と伝えることが出来るでしょうか。愛する子たちよ、この黙想会が、あなたたちにとって最後の黙想会になるかもしれません。そのように思っていてください。

 4月11日に、黙想会のスケジュールが知らされた。それは、職業訓練を受けている子たちが、勉強をしている子たちと一緒に行った最後の黙想会となった。入ってくる子どもが多くなり、その後は、黙想会を二つに分けて計画する必要性が出てきた。講話者は、イグナチオ・アルロー神父だった。

 

ゆるしの秘跡

 ドン・ボスコは、ゆるしの秘跡に多くの時間を費やした。カリエロ枢機卿は、「この司牧において、ドン・ボスコの若者と年配者に対する親しさは、特別なものであり、変わらず、尊敬に値するものであった。ゆるしの秘跡では、私たちのほとんどが、ドン・ボスコのところに行った。それは、彼が、温かく、辛抱強く、寛大で、慈愛に満ちていたからである。ドン・ボスコは、厳しさよりも寛大さが勝っており、私たちを神のいつくしみに信頼するように促す一方で、神への聖なる恐れを私たちの心に抱かせた」と述べている。

 

カラスか悪魔か

 4月14日、ドン・ボスコは、ボナノッテを勉強をしている子たちに話し、翌日の晩、それを職業訓練を受けている子たちに話した。ドン・ボスコは、それぞれのグループに対して、自分が驚いたと言った2つの夢について語った。最初の夢は、黙想会が始まる前に、もう一つの夢は、黙想会の後に見たものだった。

 

 4月2日の土曜日の夜、神のいつくしみの主日の前日、私は、バルコニーに立って、君たちが遊んでいるのを見ていた。突然、大きな白いシートが運動場全体に広がって空中に止まった。すると、多くのカラスの群れがやってきた。カラスたちは、シートの周りを羽ばたき、シートの端の入り口を見つけるとそこに急降下して、男の子たちの顔をめがけて飛んできた。そして、目をくり抜き、舌を取り、額と心臓をつついた。なんと悲惨な光景だろう。しかし、私には信じられないことだが、誰も泣いたり、叫んだりしていなかったのだ。誰もが無関心で、誰も自分自身の身を守ろうと心配さえしていなかったのだ。私は、「自分は夢を見ているのだろうか。そうに違いない。そのほかに、泣くことさえなく、男の子たちが、このように殺されることがあるだろうか」と思った。しかし、すぐに、私は、多くの泣き声と叫び声を聞き、傷ついた子たちが、泣き叫びながら、他の子たちから腹ばいになって離れていった。これらすべてのことが何を意味しているのは私には分からなかった。「おそらく、神のいつくしみの主日なので、主が、私たちを恵みによって守ってくださることを示してくださったのだ。このカラスたちは、おそらく悪魔なのかもしれない」と私は、思った。何かの物音で起きたので、自分の考えは突然、消えてしまった。それは、昼のことであり、誰かが私の部屋のドアを叩いていたのである。

 月曜日、私は、聖体拝領に与る子がいつもより少なくて驚いてしまった。火曜日は、もっと少なく、水曜日は、部分的に、ミサとゆるしの秘跡の間は多かったが、聖体拝領は、ほんのわずかだった。私は、何も言わないことにした。それは、黙想会がまさに始まろうとしており、問題は解決に向かうだろうと思っていたからである。

 4月14日の晩に私は、別の夢を見た。私は、いつものように一日中、ゆるしの秘跡を聞いており、霊魂の救いについて考え続けていた。寝床に行っても眠ることが出来ず、数時間、うたたねをしていた。そして、私が眠りにつくと、再び、自分がバルコニーに立っていて、君たちが遊んでいる光景を見ているようだった。私は、カラスに傷つけられた子たちを見つけることができた。突然、二人の名士が、現れた。一人は、小さな香油の瓶を持っており、もう一人は、それを拭く布を持っていた。二人は、すぐに、傷ついている子どもたちの世話を始めた。香油が傷口に触れるや否や、男の子たちの傷はすぐに治った。しかし、何人かの男の子たちは、治すのを嫌がり、二人が近づこうとすると、遠くへと腹ばいになって行った。その子たちの数が、かなり多かったことを私は、とても残念に思った。私は、全員の名前が分かったので、名前を書きとめるため染みを作ったが、私が書いている間に、目覚めてしまった。夢の中で彼ら名前を書いていたので、私の頭にははっきりと残っている。おそらく極めて少ない子の名前を忘れてしったが、実際には、今でも子どもたちの名前をはっきりと覚えている。少しずつ、私は、その子たちに話しかけようと思いる。確かに、何名かはすでに話しかけたが、その子たちに傷口を治してもらうように勧めたいと思う。

 この夢については、君たちが望んでいるように受け取りなさい。もし、この夢をしっかりと信じるならば、霊的な傷があなたにはないことを私は確信している。しかし、それについて、オラトリオの外で話さないようにして欲しい。私は、君たちには打ち明けたが、私は、この話を君たちのうちに留めておくよう願っている。

 

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⑬死の使い(BM7, p. 76)

 1862年3月21日、ボネッティ神父の記録には、ドン・ボスコが男の子たちに向けてボナノッテをするために、小さな壇上に上がり、まるで、ひと呼吸するかのようにわずかな沈黙の後、次のように話始めたとある。

 君たちにある夢について話さなければならない。レクリエーションの時間でオラトリオに自分たちがいるのを想像してほしい、喜び叫び、騒々しい若者たちがいる時間を。私は、自分の部屋の窓の外側に寄りかかって、男の子たちが楽しく遊びをしたり、運動場を駆け回っているのを見ているようだった。突然、正面玄関で大きな騒ぎが聞こえてきた。私は、背の高い老人だと見て、分かった。老人は、額が広く、妙にくぼんだ眼をしており、白いあごひげと白い髪のふさは、細長く、肩まで伸びていた。彼は、巻かれている布をゆったりたらして掛けながら、左手で力強くつかんでいた。一方、右の手には、濃い青色をして燃えているたいまつを持っていた。その老人は、ゆっくり、重々しく進み、時々、猫背のまま探すために立ち止まった。それは、まるで、なにか忘れ物を探しているようだった。よく分からないが、その老人は、男の子たちが遊んでいる間、何度も運動場をさまよい歩いていた。
 私は、驚き、困惑しながら、その老人を見続けていた。その老人は、大工の店まで行って、“けいどろ”といった類の遊びをしていた男の子の前で止まり、やせこけた腕を伸ばして、その子の顔の高さまでたいまつを持ち上げた。「確かに、彼がその子だ」とその老人はつぶやき、不愛想に2,3回うなずいた。そして、突然、その子を追い込んで巻いてある布の折り目からメモ紙を渡した。その子は、それを受け取り、封を切り、読むと明らかに青ざめた顔をしていた。彼は、尋ねた。
  「いつ?すぐ?」
「今だ」という恐ろしい答えが返ってきた。
「遊びを終わらせることはできないの?」
「君は、遊んでいる間に捕まったのかもしれないね。」
 それは、すぐに死ぬことを意味していた。男の子は、震えて、嘆願するために、何かを言おうとしていましたが、なぜかできなかった。奇妙な老人は、その布を手放して左手で柱廊式玄関を指した。彼は、言った。
  「見なさい。あの棺が見えるかい。君のためだ。さあ、入るんだ」
死の象徴である非柑橘の果樹園へ至る通路の真ん中に、棺が置かれていた。
  「まだ、準備が出来ていないよ。僕は、死ぬには若すぎる」
とその子は叫んだ。その奇妙な老人は、静かに素早く去って行った。
 私は彼が何者かを知ろうとしたところで、目覚めた。私が言いたかったことは、あなた達の誰かが、死の準備をしなければならないということだ。なぜなら、主がすぐにその人を永遠の世界へとお呼びになるからだ。私は、すべての出来事を見たので、奇妙な老人からメモ紙を受け取ったその子が誰かも知っている。その子は、ここで今、私の話を聞いているが、私は、その子が亡くなるまで誰にも話さない。だが、私は、彼が幸せな死を迎える準備が出来るように、私が出来ることはすべてしよう。それが誰なのか考えながら、お互いを大切にしよう。もしかしたら、彼自身がまさにその子かもしれないから。仮に、この話をしなければ、主からどうして適切な時に話さないのかと尋ねられると思ったので、この話をした。互いに注意しよう。特に、神のお告げの祭日の前のノヴェナの最後の三日間に。特に、死ぬ運命にある子のために聖母にアヴェ・マリアの祈りを少なくとも一回は唱えよう。彼がこの世から旅立つとき、私たちの何百回の祈りが彼の大きな助けとなるだろう。

 ボネッティ神父の記録には続きがある。ドン・ボスコが階段を下りていると、何人かの男の子たちがあの男の子がすぐに死んだのかどうかこっそりと自分たちに教えてもらいたいと頼みに来た。ドン・ボスコは、それは、確かに、頭文字が「P」から始まる2つの祝祭日の前、もしかしたら、最初の祝日の前、2~3週間のうちに起こるだろうと答えた。この夢によって全員が、自分がその男の子ではないかと怯え、震え始めた。前にも同じようなこと(BM6, pp. 484-89「良心の糾明」)があったように、それによって多くの善がもたられた。それぞれが霊的な幸せを心に留め、翌日には、いつも以上に多くの男の子たちが、ゆるしの秘跡に与った。
 数日間、多くの男の子たちは、個人的に自分たちの死について教えて欲しいとドン・ボスコ願ったが、頼み続けても無駄だった。子どもたちの心の中で二つのことが明らかになった。死は突然やってくるということと「P」から始まる祝祭日の前に起こるということだった。明らかにそれは、復活祭と聖霊降臨であり、初めの祭日の復活祭は、4月20日に当たっていた。
 1862年4月16日にオラトリオで大きなどよめきが起こった。12歳の男の子である、ボルガーロ・トリネーゼのルイス・フォルナジオが家で亡くなったのだ。彼についていくつか言われていることがある。ドン・ボスコが、男の子たちのうちの一人が死ななければならないことを伝えると、フォルナジオは、決して悪くはなかったが、良い行いの模範となり始めた。その話の後の最初の四日間は、彼は、ドン・ボスコに総告解をさせてもらえるようにせがんだ。ドン・ボスコは、彼が以前にすでに告解をしていたので、初めはためらいを感じたが、最終的に特別な親切心をもって、2つもしくは3つの異なる時期に告解を聞いた。さらに、彼は、同じ日にその親切心を求めたが、彼が告解を始めたその日にかすかに病を感じ始め、この状態は、何日間か続いた。この時期に、彼の兄弟のうちの二人が、彼を訪ね、彼が病気であると分かるとしばらくの間、彼を家に連れて帰る許可をドン・ボスコに求めた。まさにこの日、もしくは、その日の前日にフォルナジオは、総告解を終えて、また、聖体拝領を受けた。彼は、兄弟たちと家に帰り、数日間は立っていられたが、それからは、横になっていなければならなかった。彼の病気は、すぐに深刻になり、脳に影響を与え、彼が話すことを妨げ、時々、意識がなかった。もちろん、彼は、ゆるしの秘跡や聖体拝領に与ることはできなかった。善き父親であるドン・ボスコが見舞いに来ると、フォルナジオはそれに気がつき、何かを話そうとしたが、無駄に終わり、家族が涙を流している間、彼もむせび泣いた。その翌日、彼は亡くなった。
 その知らせがオラトリオに届くと、何名かの神学生たちが、フォルナジオが夢の男の子だったのかどうかドン・ボスコに尋ねた。ドン・ボスコは、彼ではないことを分かってもらうように彼らに伝えた。それでも、何名かは、この男の子の死が予言を実現させたと信じていた。4月16日の夕方に話されたボナノッテで、ドン・ボスコは、フォルナジオの死について話し、それは、男の子たちに重要な教訓を与えてくれていると述べた。それは、「太陽が出ている間に干し草を作れ」、「死の瞬間において私たちが心を整えようとする思いを悪魔が、妨げるのを許してはならない」ということだった。ある子どもが公に、ドン・ボスコにフォルナジオは、死ぬ運命にある子だったのかどうかを尋ねたが、ドン・ボスコは、フォルナジオはその時、何も言わなかったと答えた。しかし、ドン・ボスコは、それは、オラトリオにおいては、男の子たちが二人一組になって死ぬこと、つまり、誰かが他の子を呼ぶことが常であり、従って、私たちは、「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」(マタ24:44)という主の言葉に守られ、それを心に留めておかなければならないと付け加えた。
 ドン・ボスコが、乗り場から降りるときに、何名かの司祭と神学生にはっきりと、フォルナジオは、夢の中の男の子ではないと言った。
 4月17日、夕食後のレクリエーションの間、男の子たちは、ドン・ボスコにうるさくせがんだ。
「死ぬ運命にある男の子の名前を教えてください。」
ドン・ボスコは、笑いながら頭を振り続けた。しかし、彼らは、譲らなかった。
  「もし、あなたが私たちに言いたくないのなら、せめて、ルア神父に伝えてください。」
ドン・ボスコは、続けて頭を振った。何名かの男の子は、譲らず、
  「それなら、頭文字だけでも教えてください。」ドン・ボスコは、答えた。
  「分かった。それで君たちを満足させよう。彼の頭文字は、聖母マリアと同じだ。
 その打ち明け話は、野火のように広がったが、特定するのは難しかった。30人以上の男の子たちが「M」から始まる名字を持っていたのである。
 また、ルイス・マルキジオという男の子が深刻な病で、彼の人生に大きな恐れが生じていたので、彼に疑いをかけていた子たちもいた。実際、翌日の4月18日に彼は家に連れていかれた。疑いをかけていた子たちは、ドン・ボスコは、マルキジオだとほのめかしていたのだと思い、『私たちも、「M」から始まる名字の誰かがもうすぐ死ぬことを予言することが出来た』と言った。

 ボネッティ神父の記録(BM7 pp. 81-83)は、さらに続けている。1862年4月29日の復活祭の日に、ドン・ボスコは、大きく体調を崩した。それは、自分の足では立てず、話もできないほどたった。にもかかわらず、ドン・ボスコは、自分の部屋を出て、9時までに63人の告解を聞いた。
 あの夢での予言から一か月が経ったが、以前起こった健康上の心配事が、再び、沸き上がった。しかし、多くの子たちが、「誰がいつ亡くなるのだろうか、最初の「P」の復活祭は、終わってしまった」と思っていた。
 4月25日に突然、ヴィオラのモンドヴィ出身のヴィクトール・マエストロが、13歳という年齢で脳卒中のため亡くなった。彼は、1週間に何度も聖体拝領に行くとても元気な子だった。ドン・ボスコが予言を行ったまさにその日、マエストロはとても健康であったが、彼の亡くなる2週間まえから、目が痛み始め、夕方、彼の視界は、薄暗くなっていた。脳卒中の2,3日前、彼は、かすかな胸の痛みを訴えたため、医者は、安静にするように指示した。
 ある朝、ドン・ボスコは、階段でマエストロに会って尋ねた。
  「天国に行きたいかい。」
  「もちろんです。」と彼は答えた。
  「では、準備をしなさい。」
マエストロは、一瞬驚いたが、ドン・ボスコは冗談で言ったのだろうと思い、落ち着きを取り戻した。しかし、ドン・ボスコは、翌日から何日間か彼に近づいてきて、ふさわしい準備をして、大きな慰めとなる総告解をするよう促した。
 4月24日、ある男の子は、マエストロが保健室のバルコニーに座っているのに気が付いた。彼は、急いでドン・ボスコに近づき、尋ねた。
  「マエストロが死ぬことを望まれている男の子だということは本当ですか。」
  「どうやって私がそれを知るというのだね。彼に尋ねなさい。」とドン・ボスコは、答えました。
 男の子は、バルコニーに行って、そのようにした。マエストロは、下り階段に向かいながら、笑っていた。そして、ドン・ボスコに数日間、家に帰る許しを求めた。
  「分かりました。ただ、帰る前に自分の病気について書いた報告書を先生に渡してもらえますか。」
男の子は、ドン・ボスコがボナノッテで話したことを思い出し、自分に言い聞かせた。「誰かがオラトリオで死ななければならない。もし、自分が家に帰れば、自分はそれに当てはまりえない。復活節の長い休みを家で過ごして、完全な状態で戻ってこよう。」
 翌日、4月25日、マエストロは、他の子たちと一緒に起きて、ミサに与ったが、少し疲れを感じて、自分が家に帰れることを嬉しく思っていることを学校の友達に伝えて、寝床に戻った。
 9時の授業の鐘が鳴ると、彼の友人たちは、良い休日と無事に戻ってくることを願って、さよならを言い、学校に行った。マエストロは、寄宿舎に一人残された。10時頃、保健室の先生が、医者がすぐに来ることと起きて保健室で報告書を書くことを伝えに来た。
 やがて医者がやってきた。寄宿者に隣接しているところにいた男の子も、医者に診断してもらわなければならなかったが、彼は、マエストロの寄宿舎に行って、通路から大きな声で彼を呼んだ。応えがなかったので、彼は、もう一度、呼んだが、応えはなかった。彼は、マエストロが熟睡しているのだと思い、寝床のそばに行って、名前を呼びながら、彼を揺らしたが、マエストロは、動かなかった。彼は、言葉を失い叫んだ。「マエストロが死んだ。」そして、誰かを呼びに飛び出した。彼が最初に会ったのはルア神父だった。ルア神父は、マエストロの寝床に走っていき、彼が亡くなるときに、赦しを与えるのに間に合った。監督生だったアラソナッティ神父は、すぐにそれを知らせて、ボネッティがドン・ボスコを呼びに行った。
 その知らせは、雷のように学校や職業学校中に伝わった。男の子たちは、走って行って、ひざまずいて祈りを捧げた。他の子たちは、マエストロがまだ生きているかもしれないと思い、毛布や彼を生き返らせるための強壮剤を持って来たが、すべて無駄だった。ドン・ボスコは、一瞥して、マエストロが亡くなっていることが分かった。全員が心を痛めていた。特に、それは、マエストロが亡くなったときに誰もそばにいることが出来なかったからである。ドン・ボスコは、男の子たちの悲しみを理解して、マエストロは、永遠の救いに入ったと言って男の子たちを安心させた。マエストロは、水曜日に聖体拝領を行い、諸聖人の祭日から、特に、品行方正に振る舞い、死へとふさわしく準備を行った。心が落ち着いた神学生と男の子たちの群れは、最後に彼に敬意を払った。彼らは、マエストロの死を悲しみながらも、彼の死がドン・ボスコの預言を実現させたことに気が付いた。
 その日の夕方のドン・ボスコのボナノッテでは、全員が涙を流していた。ドン・ボスコは、最後の9日もしくは10日間以内に神は、二人の友を取り去ったが、両者とも死の間際に諸秘跡に与ることが出来なかった事実に注意を呼びかけた。「死の間際まで、良心を清めることを先延ばしにする人は、なんという過ちを犯しているのだろう。しかし、私たちは、霊的な準備をした二人の友を主が永遠の命へと呼ばれたことを感謝しよう。もし、行いが極めて主に喜ばれない他の子が取り去られたのであれば、私たちは、マエストロの死以上に悲しんだことだろう。」
 マエストロの死は、主に祝福されたものだった。土曜日の朝と夕方、多くの男の子たちが、総告解を望んだ。ドン・ボスコは、二言、三言添えて、彼らの心を楽にさせた。最後に、ドン・ボスコは、心を痛めながら言った。「マエストロは、夢の中で私がメモを渡すのを見た男の子だった。私を大いに慰めてくれたのは、まさに金曜日の朝に、何人かの子たちが私を安心させたように、彼が諸秘跡に与ったことだ。彼の死は、突然だったが、予期しないことではなかった。」
 マエストロの遺体は、4月27日の日曜日の朝に葬られた。驚くべき出来事が、予言の最後の詳しい光景を実現させた。夢の中の謎の通行人は、果樹園とつながる通路に面している柱廊玄関に立っているマエストロにメモを手渡した。そこから、その通行人は、マエストロにその通路の数フィート離れたところに棺を指し示した。
 彼の遺体の引受人とその助手が来た時、彼らは、遺体を中央階段からあの通路に至る柱廊玄関沿いに運び下ろした。そこで、葬儀で遺体を先導する司祭と生徒たちを待っている間に、彼らは停止し、いくつかの椅子を頼んで、その上に棺を置いた。(ボネッティ神父の記録を参照)

 私たちは、ヨハネ・カリエロ(その時は助祭だった)が、棺の位置に関して嘆いたことを指摘しておかねばならない。なぜなら、当時の習慣として、棺は、教会に隣接している階段の扉の近くの柱廊玄関から遠く離れた端に置かれているからだ。カリエロは、椅子を持っていた葬儀屋自身が、習慣となっている場所から移動させたことを知って、さらに不快な思いをしていた。カリエロは、棺をいつもの場所に置くように主張したが、葬儀屋の人々は、愛想なく彼の意見を拒絶した。
 そのとき、ドン・ボスコは、教会から出て、その棺をとても寂しく見つめながら、フランチェジアと他の者たちに言った。「同じだ。私が夢での中で棺を見たとおりだ。」

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⑫悪魔のようなゾウ(BM7,p.212)

 1863年1月1日、聖フランシスコ・サレジオ修道会は、ドン・ボスコを含めて39名となっていました。そのほとんどが神学生で、そのうちの22名は、3年毎の有期誓願のある者でした。また、6名の司祭のうちに5名は誓願を立てていましたが、1人は立てていませんでした。
 ドン・ボスコは、公にお金の寄付を願いながら新しい年を迎えました。確かに、宝くじの収益は十分にありましたが、建物の新しい翼を立てるほどではありませんでした。また、ジアルディニエラ通りに沿ってあるオラトリオの寄宿舎の修理やドン・ボスコがたびたび計画している大きな計画の実現にも十分ではありませんでした。宛名先の初めには閣僚、貴族の家庭、施物分配係であるコルタンゾーネのカミーロ・ペレッタ神父の名前がありました。
 ドン・ボスコは、まだ、子どもたちにその年のストレンナを与えておらず、同時に、彼は、子どもたちの霊的な糧のために、驚くべき出来事を彼らに語らなければならないと感じていました。彼が年末に予言した死は、多くの人の心を動かしましたが、すべての人ではありませんでした。新しく入った多くの子どもたちや数少ない年上の子どもたちは、未だに神と平和のうちに憩うことを拒み、神の驚くべき憐れみのうちにあるにも関わらず、あまり深く考えずに生活を続けていました。詩編の作者は、「神は善であり、義である」と言っています。「主は、罪人に道を示してくださいます。裁きをして貧しい人を導き 主の道を貧しい人に教えてくださいます。」(詩24【25】:8-9)この詩編は、私たちがすでに目にしたものですし、同時に、これらも目にし続けるものです。
 ドン・ボスコは、その年の最後の日に、子どもたちに新年の目標を伝えることが出来なかったので、彼は、主の公現の祭日の夕方にすることを約束しました。そして、1863年1月6日の火曜日の晩の祈りの後に、手に職を身につけている子どもと勉強している子どもたちが待ち望んでいる中、ドン・ボスコは、演壇に登り、彼らに以下のように話かけました。

 今夜、私は、君たちにストレンナを渡さなければなりません。毎年、クリスマスのあたりに、私は、君たち全員のためになるストレンナを示してくださるように神に願っています。私は、君たちが数が増えるのを見るにつれ、今年は、2倍祈りました。昨年の最後の日(水曜日)が近づいていましたので、火曜日か金曜日に話をしようとしましたが、何も浮かんできませんでした。1月2日の金曜の夜、私は、疲れきってベットに入りましたが、寝付けませんでした。次の朝、私は、疲れが残ったまま半分死んでいる状態でベットから出ましたが、それに全く狼狽えませんでした。むしろ、最悪の夜には、いつも、聖母が私になんらかのことを現そうとする啓示があるという過去の経験に元気づけられました。あの日は、ボルゴ・コルナレゼに仕事に行き、次の日、夕方早くにここに戻って来ました。告解を聞いた後、私は、ベッドに入りました。ボルゴでの仕事の疲れと前日眠れていないことから、私は、すぐに眠りにつきました。今から、あなたたちのストレンナとなる夢について話しましょう。

巨大なゾウ
 愛する子たちよ、私は夢を見ました。その日は、祭日の午後で、君たちは全員、遊び回っていました。その一方で、私は、自分の部屋にトーマス・ヴァラウリ教授(現代の辞書編集者、著名な文学者でドン・ボスコととても仲が良かった)といて、文学と宗教について話をしていました。突然、ドアをノックする音がしました。私は、急いで立ち上がり、そのドアを開けました。そこには、今は亡き私の母が立っていました。彼女は、息を切らしながら、
 「来て!来て!」
 「どうしたんですか」と私は言いました。
 「とにかく来て!」と彼女が答えました。
私は走ってバルコニーに行きました。運動場に降りると、巨大なゾウが男の子たちの群に囲まれていました。
 「一体、何が起こっているんだ」と私は、言いました。
 「下に降りよう」
ヴァラウリ教授と私は、驚きと危機感をもって互いに見合い、階段を降りて行きました。
 君たちの多くがゾウにむかって走って行くのは、ごく自然のことでした。ゾウは、おとなしく、飼い慣らされているようでした。ゾウは、ふざけてのしのし歩いたり、鼻を男の子たちにこすりつけたり、男の子たちの命令に素直に従っていて、まるで、オラトリオで生まれ育ったかのようでした。君たちの多くが、ゾウについて回りましたが、全員ではありませんでした。実際、君たちのほとんどが怖がって、安全な場所へと逃げて行きました。最終的に、君たちは、教会に隠れました。私も、運動場に開かれていている横のドアから入ろうをしました。水飲み場の側にある聖母像を横切り、ご保護を願って彼女のマントの縁を触ると、彼女の右手が挙がりました。ヴァラウリ教授も同じようにその像の別の場所にふれると、聖母の左手が挙がりました。そのような不思議な出来事を思って見なかったので、私はとても驚きました。

聖体の敵
 教会での祈りを知らせる鐘が鳴ると、君たち全員が、群をなして教会に入りました。私は、見守りながら、ゾウが正面玄関の後ろに立っているのが見えました。晩の祈りと講話が終わると、聖体礼拝を捧げるアラソナッティ神父とサヴィオ神父を手伝うために、祭壇に向かいました。君たち全員が、ご聖体を崇拝するために深深と頭を下げる荘厳な瞬間に、あのゾウも、真ん中の通りの端に立っていて、ひざまづいていましたが、祭壇には背を向けていました。
 祈りが終わると、私は、走って運動場に出て、何が起こるか見ようを試みましたが、誰かに引き留められてしまいました。しばらくして、柱廊式玄関へと出る横のドアから出て、君たちがいつものように遊んでいる姿を見ました。ゾウも教会から出て、建設中の新しい翼のある二つ目の運動場で遊んでいました。この場所について詳しく話したのは、そこが、私がこれから話そうとしている恐ろしい場面が起こるまさにその場所だからです。
 その瞬間、私は、運動場の遠くの端で、男の子たちが列をなして従ってくる旗印を見ました。それは、大きな文字で、「聖母よ、あわれな子どもたちを助けてください」という言葉が掲げてありました。すると、巨大な獣が飼い慣らされてる様子から突然、暴れ狂い始めたので、子どもたちはみんな驚きました。その獣は、怒り狂いながら甲高い声を出し、前方に突進し、近くにいた男の子たちをその鼻で掴み、空中に投げたり、地面にたたきつけたり、足の裏で踏みつけました。怖ろしいほど酷く傷つけられたにもかかわらず、犠牲者たちはまだ、生きていました。みんなが、彼らのもとに駆け寄りました。怪我をした男の子たちからは、助けを求めて金切り声や叫びや訴えが聞こえました。さらに悪いことに、君たちは信じられるでしょうか、ゾウに傷つけられた何人かの男の子たちは、怪我をしている仲間を助けるのではなく、むしろ、新しい犠牲者を生み出すために巨大な動物の仲間になるのでした。

聖母のマントの下で
 これらすべてのことが起こっている中で、(私は、柱廊玄関の2番目のアーチの傍、水飲み場の近くに立っていました)君たちがそこでみた小さな像(聖母マリアの像)が、動くようになり、等身大の大きさになりました。その時、聖母は、腕を挙げて、美しく縫われた銘を示すために自分のマントを広げました。信じられないことに、そのマントは、そのもとに集まるすべての子どもたちを守るためにどこまでも広がりました。最も優秀な男の子たちは、安全のために最初にマントのもとに駆け寄りました。聖母は、自分のもとに急いで来ない多くの子どもたちを見ると、「全員、私のもとに来なさい」と呼びかけました。彼女の呼びかけが注意を引き、マントのもとに集まる子どもたちが増えるにつれ、マントも大きくなりました。しかしながら、数名の男の子たちは、辺りを走り回り、安全な場所にたどり着く前に、怪我をしてしまいました。聖母は、興奮し、息を切らしながら言い続けましたが、彼女のもとに駆け寄った男の子はごくわずかでした。一方で、ゾウは、駆け寄って来た何人かの男の子たちに助けられ殺人鬼となってしまった子たちに一つ、もしくは、二つの剣を巧みに使って、仲間が聖母マリアのところに駆け寄るのを妨げさせ続けました。ゾウは、決してこの協力者たちにさえ触れることはありませんでした。
 一方で、聖母に促されて何人かの男の子たちが、犠牲になった子たちを助けるために、すぐに出られるように安全なマントから出ました。怪我をした子たちは、怪我の手当よりも早く、聖母のマントの下にたどり着きました。勇敢な男の子たちは、棍棒をもって外に出て、自分たちの命を危険にさらしながら全員が救われるまで、怪我をした男の子たちをゾウや共犯の子たちから守りました。
 運動場は、現在、ほとんど死にかけて横たわっている何名かの男の子たちを除いて、人気のない状態でした。柱廊玄関の側の片隅で多くの男の子たちが聖母のマントのもとで無事に立っていました。一方で、ゾウとこのような大混乱を招いて害を加え、豪快に剣を振り回し、ゾウを助けた10~20人の男の子が立っていました。
 突然、ゾウが後ろ足で立ち上がり、怖ろしく、長い角を持った化け物に変わり、黒い網を気の毒な仲間たちに投げました。そして、その化け物がうなると、煙のようなあつい雲が彼らを包み込み、彼らの下の地面が突然開き、吸い込まれていきました。

望みと格言
 私は、自分の母親とヴァラウリ教授に話しかけようと彼らを探しましたが、どこにも見つかりませんでした。その時、私は、聖母マリアのマントに記された銘を見て、そのいくつかが、聖書の直接の引用、もしくは、改作であることに気がつきました。私は、そのいくつかを読みました。
「私を明らかにした者たちに、永遠の命を得させよう。」(シラ24:31)
「私を見いだした者は、命を見出す。」(箴8:35)
「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」(箴9:4)
「罪人の逃れ場」
「信仰者の救い」
「慈しみと従順さと憐れみの満ちた」
「わたしの道を守る者は、いかに幸いなことか」(箴8:32)

悪口を避けること
 今、全員が静かになりました。短い沈黙の後、聖母は、何度も呼びかけていたので、見た目はとても疲れているようでしたが、男の子たちをなだめるように慰め、励ましていました。その光景は、私がマリア像の置いてある壁面のくぼみのふもとに刻んだ「私を輝かす者は、永遠の命を得る」という銘を引用できるものでした。聖母は続けて言いました。「あなたは、私の呼びかけを心に留め、あなたの子どもたちの中で、悪魔によって害を加えられ、殺人者となった者に気を配りなさい。彼らが破滅に陥った原因を知りたいですか。それは、悪い話と悪行です。同じようにあなたは、剣を振り回していた子たちを見ましたね。彼らは、まるで、彼らが、あなたの何人かの生徒たちと一緒にしたように、あなたを誘惑させて、あなたの永遠の破滅を求めている者たちです。しかし、「神を待ち続ける人のために、神はより厳しく罰する」のです。地獄にいる悪魔は、彼らを捕らえ、永遠の破滅への引きずり下ろすのです。今、平和のうちに行きなさい、そして、私の言葉を覚えていなさい。悪魔と親しい友や悪い話を避け、私を信頼しなさい。私のマントは、いつもあなたの安全な逃れ場です。」
 そして、聖母は、姿を消し、愛する小像だけが残っていました。私の亡くなった母親が再び現れました。「聖母マリア、あわれな子どもたちを助けてください」という銘のある旗が掲げられました。
 男の子たちは、後ろで行列をなして行進し、「聖母マリアをたたえよ、信心深い口で」という歌を歌いました。その後、その歌声はかすかになり、全体の光景が消えていきました。私は寝汗をかいていました。以上のような夢だったのです。
 愛する子たちよ、このストレンナから何か教訓が得られるかどうかはあなたたち次第です。自分たちの良心に問いかけなさい、自分が聖母マリアのマントの下で安全でいるか、それとも、象があなたを空中に投げているか、それとも、剣を振り回しているか。私が出来ることは、聖母マリアが言ったこと、つまり、「全員、私のところに来なさい」ということを繰り返すだけです。あらゆる危険において、聖母マリアに駆け寄りなさい、頼りなさい。私は、皆さんの祈りが聞き入れられると確信しています。象にひどく傷つけられた人は、悪い話や悪い友を避けることを学ばなければなりません。友人を聖母マリアの下から誘惑しようとする人は、生き方を改めるかすぐに家から離れなければなりません。自分が夢の中で果たした役割について知りたい人は誰でも、私の部屋に来て、伝えようと思います。悪魔の共犯者は、生き方を改めるか出ていきなさい。おやすみなさい。

 ドン・ボスコは、このように熱く、感情を込めて話しました。その後の一週間、男の子たちは、ドン・ボスコが見た夢について話し合い、心穏やかに彼から離れませんでした。毎朝、彼らは、ドン・ボスコからゆるしの秘跡を受けるために群がり、毎週午後、その神秘的な夢の中でどんな役を自分が演じていたかを探るためにドン・ボスコにせがんでいました。
 これはただの夢ではなく、一つの啓示でした。ドン・ボスコ自身も、それを間接的に認めていました。「私は、いつものように神に導きを願いました。…まさに悪夢こそが、私たちの主が私に何かを語ろうとしている警告だったのです。」さらに、ドン・ボスコは、自分が語ったことをないがしろにすることを禁止していました。
 さらに、ある時、ドン・ボスコは、傷つけられた子たちや1つか、2つの剣を振り回していた子たちのリストを作り、それを、子どもたちを見守るように指導していた神学生のチェレスティーヌ・ドゥランドにそれを渡しました。彼は、そのリストを私たちに手渡しましたが、それは、まだ私たちの間柄で共有されているものでした。傷つけられたのは13名でした。彼らは、おそらく、救われず、聖母マリアのマントの下で守られなかった子どもたちです。17名の子どもたちは、一つの剣をもっており、たった3名だけが、2つの剣を持っていました。男の子たちの名前の隣の余白に散らばって書かれたメモは、生き方を変えることを指示していました。このように、私たちは、自分たちが理解したように、その夢が将来について触れていることを心に留めなければなりません。
 彼の夢が物事の真相を明らかにするものであることは、子どもたち自身も認めています。子どもたちの中の一人は、「私は、ドン・ボスコが自分のことをこれほどよく知っていたとは思いませんでした。彼は、私が何も付け加える必要がないほど、正確に、私の霊的な状態や誘惑について明らかにしてくれました」と述べています。
 他の2人の子どもは、自分たちが剣を振り回していたことを語りました。「それは、確かに真実です」と互いに認めていました。「私は、はじめからずっとそのことを知っていました。」彼らは、生き方を改めたのでした。
 ある日の午後、この夢について話している間に、何名からの男の子たちがすでにオラトリオから抜け出し、他の何名かが後に従ったことに気が付きました。抜け出したこと子たちが、従った子たちを傷つけはしまいかと思っていましたが、ドン・ボスコは、彼の言うところの彼ら自身への「魔法」について話始めました。この関連性について、彼は次のような出来事を話しました。
 何日か前に、ある男の子が家に手紙を書き、偽って共同体の司祭と長上が重大な悪事を行ったと責め立てました。その子は、ドン・ボスコがその手紙を見ることを恐れていたので、彼は、秘密裡に手紙を投函するまで、自分で持っていました。その日、私は、夕食の後すぐに、彼を呼びました。私の部屋で、私は、彼の悪事につい話し、なぜそんな嘘をついたのか尋ねました。彼は、恥も知らず、すべてを否定しました。私は、彼に白状させたかったので、手紙の内容を一字一句繰り返しました。彼は、当惑して、怯え、涙を流しながら私の足元にひざまづきました。彼は、「どうして私の手紙を途中で奪ったのですか」と尋ねました。私は、答えました。「いいえ、おそらく、あなたの家族は、今頃、この手紙を受け取っているでしょう。間違いを修正するかどうかは、あなた次第です」
 ドン・ボスコの周りにいた男の子たちは、どうやってそれに気が付いたのか尋ねました。すると、彼は、笑いながら、「それが私の魔法だよ」と答えました。男の子たちの現在の霊的な状態だけでなく、未来についても明らかにするこの魔法と夢は、一つであり、同じものでなければなりません。

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角の生えた猫(BM8,p22&25)

 私は、2,3日前の夜に夢を見た。この夢の話を聞きたいかい。君たちは、私にとって愛しい子たちだから、いつも私の夢に出てくるんだ。私は、君たちに囲まれながら運動場にいたようだ。それぞれが、バラやゆりやスミレ、もしくは、バラとゆりの両方を持っていたり、他の花を持っている子もいた。すると突然、大きくて醜く、石炭のように黒い猫が現れた。その猫には、角があり、目が燃えた石炭のように赤く、長くて鋭いかぎづめ持っていて、とても太っていた。この醜い獣は、陰を潜めながら少しずつ君たちに近づき、君たちの花を素早く地面に切り落とした。私が、その醜い獣を最初に止めたとき、私はとても怖かったのだが、驚くことに、君たちは、まったく関心がないようだった。その獣が私の花を切り落とすために近づいてくるのが分かると、私は、すぐに逃げ出したが、誰かが、私を止めたんだ。彼は、「逃げていけない。獣が届かないくらいまで手を挙げるように早くあなたの子たちに言いなさい」と言ったんだ。
 私は、彼の言った通りにした。その獣は、一生懸命、飛び跳ねていたが、自分の重さのために、無様にも地面に戻されていた。
 愛する子たちよ、ゆりは、悪魔が行う終わりなき戦いに対して抵抗する純潔という美しい徳を表している。自分の花を低く持ち続けいる子には災いがある。悪魔は、その人の花を切り落としてしまうだろう。そのような人は、食べ過ぎや間食で自分の肉体を甘やかし、仕事を減らして時間を無駄にし、おしゃべりや本が好きで、自分の過ちを認めない人なんだ。私の愛する子たちよ、良いことのために、このような敵と戦おう、さもないと、悪魔は、君を奴隷にしてしまうだろう。
 この勝利を勝ち取ることは難しい。でも、聖書は、その方法を教えてくれている。それは、「このような悪魔は、祈りと断食によってのみ追い出すことができる」ということだ。腕を挙げなさい、そうすれば、君たちの花は安全だ。純潔は、天の徳なんだ。それを守りたいと思う人たちはだれでも、天の方に自分自身を向けなさい。祈りは、君たちを救ってくれる。朝と晩の祈り、黙想とミサ、頻繁なゆるしの秘跡と聖体拝領、説教と勧め聞くこと、秘跡に与ること、ロザリオと自分の学校の務めを熱心に行うんだ。祈りによって、自分の意識を天の方に向けなさい。そうすれば、君たちは、一番きれいな徳を守ることが出来る。君がたくさん望めば望むほど、悪魔から君たちから花を切り落とすことが出来なくなるだろう。

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⑩貴重なハンカチである純潔(BM6,p.582)

 ハンカチの夢は、私たちに不純な誘惑に対してすぐに対応するように警告しています。ぐずぐずしていると、私たちは、罪に陥ってしまうでしょう。すべての家が燃えている時に、誰が火を消すことができるでしょうか。
 誘惑の風が吹いていますか。すぐに、正しい人、つまり、マリア様のところに助けを求めに行きましょう。あらゆる徳の女王のハンカチ、―それは、風や雨、霰に晒されましたが―を持っていた不純な男の子たちは、ハンカチに、穴があり、形が崩れ、どこにも美しさがないことにすぐに気がつきました。
 その女性(おそらく神の使いだと思いますが)の近くにいた人の一人が「右に曲がりなさい」と叫びました。ほとんどすべての人が従い、正しい人のもとに立ち戻りました。つまり、彼らは、良いゆるしの秘跡を行ったのです。ですから、彼らは、ハンカチを直すことが出来たのです。ですが、継ぎ当てられたハンカチは、もうもとの形には戻りません。神は赦しますが、自然は罰するのです。不純な行いは、常に悪い結果をもたらします。良い意思と神の恵みがある時にこそ、傷を癒すことができるのです。敬虔さ、謙虚さ、犠牲の精神を育み、イエス・キリストへの愛の為に良い行いをしなければなりません。悪い習慣を続ける人は、永遠の破滅に至る大きな危険を犯しているのです。これは、貴重なハンカチについて、ドン・ボスコが1861年6月18日に話したことの要約です。

 6月14日の夜に、私は、ベッド上で強くたたかれて驚くよりも早く眠りにつきました。それは、まるで、誰かが黒板にある棒で殴ったかのようでした。私は、飛び上がってすぐに、これは雷だと思いました。私は、辺りを見回しましたが、変わったことは何もありませんでした。私は、自分に夢を見ているのだと言い聞かせて、もう一度、寝ようとしました。私が、居眠りをするやいな、二回目の打撃がありました。この時、私は、ベッドから起きて辺りを調べました。ベッドの下や机の下、部屋の隅を調べましたが、不自然なものは何もありませんでした。神のご保護を自分自身に願って、私は自分自身に聖水をかけ、ベッドに入り込みました。私の意識がさまよい始めたのはその時で、私が、君たちに話そうとしていることを見ました。

広大な低地
 私は、説教を始めようとして、説教台に立っているようでした。男の子たち全員が、いつもの場所に座って、顔をあげて待っていましたが、私は、何について話せば良いか分からなくなりました。しばらくの間、私の頭は、空っぽになったのです。私は驚き、狼狽えました。聖なる務めを行ってきた中で、一度もそんなことはなかったのです。そして、突然、壁と男の子が消え、教会が広大な低地へと変わりました。私は、我を忘れ、自分の目を疑いました。「なんだこれは」と私は不思議に思いました。「さっきまで、私は、教会の説教台にいたのに、今は、低地にいる。私は夢を見ているのだろうか。何が起こっているのだろうか。」
 私は、誰かに会えることを願いながら歩けば、自分がいる場所が分かると考えました。しばらくして、私は、荘重な宮殿に来ました。そこの多くのバルコニーと広いテラスは、建物や景色と見事に調和していました。宮殿の前には、広い広場がありました。右端には、多くの男の子たちが、ハンカチを一人ひとりに渡している女性のところに群がっていました。彼らは、ハンカチを受け取ると、テラスを歩いて上り、手すりに沿って並んでいました。女性の方に注意を向けていると、私は、彼女が、男の子たちにハンカチを渡している時にかけている声が聞こえました。「風が吹いたときに、それを手離さないように。もし、風に驚いたら、すぐに右に曲がりなさい。左ではありませんよ。」


 私は、この男の子たちを見続けていましたが、誰も見に覚えのない子たちでした。
 すべてのハンカチを配り終わると、すべての男の子たちは、沈黙してテラスに並びました。私が見ていると、ある男の子がハンカチを取り出し、手放しました。他の男の子たちもそれに倣い、全員が手放しました。ハンカチは、とても大きくなり、金色に優美に紡がれました。それぞれの長い辺には、「諸徳の女王」と書かれていました。
 突然、そよ風が北から、つまり、左から、吹き始めました。徐徐のそれは大きくなり、強風となりました。すぐにハンカチを掴み、そこに隠れた子たちもいましたし、すぐに右を向いた子たちもいました。一方で、強風に晒されたままでバタバタとなびいて揺れていた子もいました。風がだんだん強くなる中で、不気味な雲が頭上に集まり、空が暗くなりました。雷が光り、音を立てて響き渡る恐ろしいものが、空から霰や雨、雪を伴って落ちてきました。信じられないことに、多くの男の子がまだ嵐の中、バタバタとなびいて揺れながら、ハンカチを掴んでいました。霰や雨や雪は、容赦なく彼らに降りつけ、ハンカチには、すぐに穴が空き、分からないくらいに粉々になりました。
 私は、それが何で出来ているか分からなかったので、唖然としました。しかしながら、少しして私は、さらに大きな驚きがありました。様子を見るために男の子たちに近づいた時、私は、彼ら、一人ひとりに見覚えがあったのです。彼らは、私のオラトリオの男の子たちだったのです。私は、彼らのうちの一人のところに急ぎ、
「君はここで、いったい何をしているんだい。君は、〇〇君じゃないかい。」と尋ねました。
「はい、そうです。」と彼は、答えました。そして、何人かの他の男の子を指さして、
「□□君も△△君もここにいます。」と付け加えました。
 私は、ハンカチを配っていた女性のところに行きました。何人かの男性が彼女の周りを囲んでいました。私は、彼らに「このすべてのことは、何を意味しているんだい。」と尋ねました。
 私の質問を聞いて、彼女自身が、私の方を振り向きました。
「あなたは、ハンカチにある銘を見なかったのですか。」
「いいえ、諸徳の女王とありました。」
「今、理解できましたか。」
「はい。」

祈りにより頼むように促す
 すべての男の子たちの純潔が誘惑の嵐に晒されました。危険に気がついて、すぐに逃げた子もいました。この子たちは、ハンカチを掴んで隠れていた男の子たちです。他にも、驚かされてハンカチを掴んでいられませんでしたが、すぐに右に曲がった子たちもいました。この子たちは、危険な時に、すぐに祈りにより頼み、敵に背を向ける男の子たちです。そして、ハンカチを誘惑の嵐に広げたままで、罪に陥った子たちもいました。
 この光景に私は悲しみましたが、ごくわずかな男の子たちが純潔を保っていたことに気がついて、私は、もう少しのところで大泣きするところでした。自分の感情を落ち着かせたところで、私は、「どうして雨粒や雪片でさえ、ハンカチを穴だらけにしたのですが。それらは、小さな罪のシンボルではないのですか」と尋ねました。すると男性の一人が「純潔を考える場合に、事態の大きさを考慮にいれないことは問題ではないということを知らないのですか。落ち込まないでください。来てみなさい。」
 彼は、バルコニーに移動して、男の子たちに手で合図して、「回れ右」と叫びました。ほとんど全員が従いましたが、何人かの子たちは、向きを変えませんでした。その子たちのハンカチはずたずたで、ぼろぼろになっていました。また、私は、右を向いた子たちのハンカチが、縮んでおり、当て布で覆われていました。穴は開いていませんでしたが、痛ましいほど形が崩れていました。
 その女性は、「この男の子たちは、純潔を失って不幸になりましたが、ゆるしの秘跡を通して神の恵みを得ています。目覚めなかった子たちは、罪から離れることが出来ず、おそらく、地獄に行くでしょう。」と説明しました。そして、最後に、彼女は、「誰かをどこかに特定するものとして話してはいけません。ただ、一般的な警告として与えなさい」と私に言いました。

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⑨やまうずらとうずら(BM8,p.9)

 君たちに私が一昨日の夜に見た夢の話をしましょう。私は、君たち全員と私の知らない子たちとハイキングに行っていました。私たちは、食事のためにぶどう畑で止まり、みんなは、ぶどう、いちじく、桃、プラムを満喫しながら、果物を取ろうと辺りに散らばっていました。私も君たちと一緒にいて、君たちに食べさせようとぶどうやいちじくを摘んでいました。私は夢を見ているようでしたが、なぜか、それがただの夢であることが残念でなりませんでした。私は、「そろそろ、子どもたちも満喫しただろう」と思いました。ぶどう畑を横切ると、私たちはワイン棚を見ることができました。
 
 私たちは、お腹がいっぱいになるとすぐに、ぶどう畑を通りながら行進を再開しましたが、ぶどう畑の全体に続いている深い溝を渡るのに時間がかかりました。がっちりした男の子たちは、ある道から他の道になんとか飛べましたが、小柄な男の子たちは、すぐには成功せず、しばしば深い溝に転落しました。私は、彼らの大変さに共感し、いくつかの他の道を見渡すと、ぶどう畑沿いの道があることに気がつきました。私は、その道にみんなを移動させようとしましたが、ぶどう園の園丁が、私を止めました。
「その道から離れてください。その道は、岩が多く、泥沼で、とげやわだちがあります。通るのは絶対に無理です。皆さんが通っていた道のままでいてください。」
「私もそうしたいのですが、この小柄な男の子たちは、溝を渡りきることができないのです。」と私は、言いました。すると彼は、
「問題ありません。大きな男の子が、その子たちを担ぎなさい。その子たちは、それでも道から道へと渡りきることができるでしょう。」
私は納得いかず、泥道に全員の子どもたちを移動させました。ただ、その道が、本当に行くのが禁止され、通れないのかを確かめるためでした。フランチェジア神父に聞くと、「私たちは、悪魔と深い青色の海の間にいるようだ」と話していました。結局、私たちは、泥道と平行している道沿いにある溝を渡り続ける以外に選択肢はありませんでした。ぶどう園の最後の通りに着いた時、私たちは、とげのある植物の生えた分厚い垣根に直面しました。人が通るのは大変難しいことが分かったので、私たちは、高い盛り土から青々と茂っていて、辺りに木が生えている野原へと降りて行きました。

 その真ん中で、私は、以前のオラトリオにいた2人の男の子を見つけました。彼らは、私に気がつくと近づいて来て私に挨拶をしました。私達は、少しの間、話をしました。その時、彼らのうちの一人が、二羽の鳥を持って来て
「私が見つけたものを見てください。可愛くないですか」と言いました。
「それは何だい」と私は尋ねました。
「これは、やまうずらで、これは、うずらです」
「そのやまうずらは生きているの」
「もちろん」そして、彼は、私の手に最も美しい若鳥を乗せました。
「餌をあげてもいいかい」
「どうぞ、今ちょうどあげるところでした」
若鳥が餌を食べている間に、私は、若鳥のくちばしが4つの部分に分かれていることに気がつきました。私は、驚いてそのことを男の子に話しました。
「神父さんは、知らないんですか。4つの部分に分かれたくちばしは、やまうずらと同じことを表しているんですよ。」と彼は、答えました。
「私にはわからないよ。」
「知っているべきですよ。だって、神父さんは上手に教えているではありませんか。やまうずらを意味するラテン語は何ですか。」
「Perdixだね」
「そうです。分かっているではありませんか」
「いや、まだ私は分かっていないよ。教えてくれないかい。」
「分かりました。では、それぞれの文字が意味していることを考えてみましょう。」
「Pは、Perseverantiaで、忍耐です」
「Eは、Eternitas te expectatで、永遠があなたを待っているです。」
「Rは、Referet unusquisque secundum opera sua prout gesit:sive bonum, sive malumで、良いことであろうと悪いことであろうと、すべての人は、それを神の業として表現しなければならないです」
「Dは、Dempt nomineで、神のみ名と敬うことなしに、世の名誉も栄光も知識も富もないということです」
「Iは、Ibitで、人間は歩むものだということです。」
「今、神父様は、4つに分かれたくちばしの意味を知りました。それは、四終です。」
「確かに。ただ、最後の文字のXは、何を表しているんだい。」
「想像できませんか。神父様は、数学を習わなかったのですか。」
「なるほど、Xは、未知数を表しているんだね。」
「そうです。今、この量を運命という言葉に置き換えると、Ibit in locum suumとなり、 人間は、知られざる運命を歩むものだとなります。」
私は、この説明に驚き、納得させられました。私は、
「このやまうずらをもらってよいかな?」と男の子に尋ねました。
「もちろんです。このうずらも見たいですか。」と彼は尋ねました。
「そうしてもらってもいいかな。」
彼は、私にうずらを渡しました。それは、とても元気そうに見えましたが、翼を広げたときに、私は、多くの傷跡に気がつきました。それを見れば見るほど、ひどくなり、化膿し、ひどい臭いがし始めました。
「どうなっているんだい。」私は、男の子に尋ねました。
「神父さんは、司祭ですし、聖書を勉強したと思いますが、まだ分かりませんか。イスラエルの民が荒れ野で不平不満を言ったとき、神がうずらの群を彼らに与えられたことを覚えていないのですか。イスラエルの民は、うずらを喜びましたが、それらを食べたときでさえ、神は、何百人かの民を罰されました。このうずらは、貪欲は、剣よりも命取りとなり、それは、ほとんどの罪の根元だということを伝えているのです。」
私は、彼の説明に感謝しました。同時に、たくさんのやまうずらとうずらが、垣根や木、野原の上に現れました。君たち男の子は、鳥に急に襲いかかったり、食べようとしていました。そして、私たちは、再び行進を始めました。やまうずらを食べた子たちは、元気を取り戻し、私についてきましたが、うずらを食べた子たちは、通りをふらふらと歩き、散らばって行き、私が再び見ることはありませんでした。

 以下は、1月18日にドン・ボスコが男の子たちに話したことです。
 君たちが、他の日の晩に君たちに話した夢についてもっと聞きたいと思っていることは分かっているが、私は、やまうずらとうずらが何を意味しているかを明らかにするだけにしたいと思う。短く言えば、やまうずらは、徳を表していて、うずらは、悪徳を表している。うずらの羽の下にあった異臭を放つ傷口を覆い隠していたうずらの元気な姿が不純を表すことを君たちの伝える必要はないだろう。うずらを腐っている状態にもかかわらず無我夢中で食べた男の子たちは、自らを罪の行いに身を委ね、やまうずらを食べた男の子たちは、徳を愛し、それを実践しました。
 私は、男の子たちが、一方の手にうずらをもう一方の手にやまうずらを持っていて、うずらにたくさん、餌を与えているのを見ました。この男の子たちは、徳の美しさを知っていますが、神から与えられた手段を良いことのために用いることを拒みました。別の男の子たちは、やまうずらに餌を与えていましたが、憧れに満ちた目でうずらを見続けていました。その子たちは、徳の道を歩む人ですが、強制されて乗り気ではありません。もしその子たちが、見方を変えなければ、遅かれ早かれ罪に陥るでしょう。
 また、私は、うずらがやまうずらを食べた男の子たちの前で羽ばたいているのに気がつきましたが、その子たちは、うずらを無視していました。徳に従う子もいれば、悪徳を嫌い、軽蔑する子もいます。そして、やまうずらとうずらの両方を食べた男の子たちもいます。その子たちの中には、悪い行いからよい行いをするようになった子もいますし、反対に、自分たちは悪くないと最後まで自分自身に信じ込ませる子もいます。「私たちの誰が何を食べたのか」と君たちは尋ねるかもしれません。私は、昨日、多くことを伝えました。その他のことについては、私のところに来てもらって、話したいと思っています。」

 私たちは、とりわけ語られた夢について今、何が言えるでしょうか。彼の習慣ですが、ドン・ボスコは、十分に説明しませんでした。彼は、男の子の関心のあることや将来についてのいくつかの洞察に合わせて、自分自信を抑えていたと思います。しかし、仮に私たちが間違っていなければ、彼の言葉を学ぶことにおいて、私たちは、彼の夢の中で、オラトリオ、サレジオ会、一般的な修道会の規則を理解していることになります。
 賢明さは、このやまうずらの特徴です。ラピドのコルネリウスは、エレミア書17章について、聖アンブロジオ(手紙47)の言葉を引用しています。そこで、彼は、やまうずらが、狩人のわなから逃れるための巧妙な策略と賢明さで雛を守っていると述べています。ドン・ボスコが、子どもたちに頻繁に言っていた言葉の一つに「賢明でありなさい」という言葉があります。その言及は、永遠という考え方が、悪魔の罠から如何にして逃れるかを彼らに教えているかのようです。うずらは、不純な事柄のシンボルで、また、貪欲さは、召命を失わせることを表しています。

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⑧死の首輪(BM IX,p.278)

 私は夢を見ていました。自分の部屋から出ると、すぐに自分自身が教会の中にいることに気がつきました。そこには、ランツァやミラベッロなど私の知らない多くの若者たちが密集していました。男の子たちは、声を出して祈っておらず、ゆるし秘跡の準備をしているようでした。私は、告解室の周りを囲んでいる多くの男の子たちを見て、どうすれば全員の告解を聞くことが出来るだろうかと思い始めました。私は、自分が夢を見ているのかもしれないと思い、自分が起きているかを確認するために、手をたたくと、はっきりとその音を聞くことが出来ました。再度、確かめるために、私が自分の手を伸ばすと、告解室の後ろの壁に触れることができました。疑う余地もなく、「始めてもよいのでは」と自分に言い聞かせ、告解を聞き始めました。すぐに、私は、男の子たちの数を心配して、他に聴罪司祭がいないだろうかと辺りを見渡しましたが、誰もいませんでした。そこで、私は、香部屋係に助っ人を探してくるように伝えました。ちょうど、その時でした。私は、男の子たちに今にも窒息しそうな首輪がついていることに気がつきました。
「その首輪は、なんだい。」私は尋ねました。
「取りなさい。」男の子たちは私の前ではずし始めました。そして、私は、一人の若者に、
「君、あの男の子のところに行って、あの首輪を首から外してくれないか」言いました。
彼は、その子のもとに行きましたが、戻って来て私に言いました。
「僕には取り外すことが出来ません。誰かが、つかんでいます。来てください。」

醜い猫
 私が、数多くの男の子たちの群にさらに近づいて綿密に調べていると、彼らの後ろから突き出ている2本のとても長い角を見つけました。私は、自分の一番近くにいる男の子に近づいて、彼の後ろから引っ張りあげました。すると、醜い猫が首輪に必死にしがみついているのを見つけました。私の行動に驚いたのか、その猫は、身を屈めて、自分の鼻を足の間に隠しました。私は、この男の子と他の男の子に名前を尋ねましたが、彼らは答えませんでした。あの恐ろしい獣に質問しても、その獣は、身を屈めたままでした。
「香部屋に行って、メルローン神父に聖水を頼みなさい。」
私は、男の子たちの一人に指示しました。彼は、聖水を持って、戻ってきましたが、同時に、男の子たちの背後に最初の一匹と同じくらいの醜い猫が身を屈めているのを見つけました。私は、これが夢であって欲しいと思い続けました。潅水器を持って、私は、これらの多くの猫の一匹の方を向きました。
「おまえが何者か、私に話しなさい」と私は命じました。
口を開けたり、閉じたりしながら、醜い動物は、うなり声をあげ、突進する準備をしていました。
「答えなさい」と私は言い張りました。
「おまえはここで何をしているのか。私は、おまえの脅しには、怯えていない。おまえには、この聖水が見えないのか。おまえに全部、振りかけるぞ。」
その動物は、狼狽しながら、信じられない程体をねじって身悶え始め、再び、私に飛びかかる準備をしているようでした。私は、その動物を見続けました。そして、その動物が、足にいくつかの首輪をもっていることに気がつきました。
「おまえはここで何をしているんだ。」
私は、聖水でその動物を脅しながら、再び問いかけました。すると、その怪物は、逃げ出すために、緊張している姿勢を崩しました。
「やめなさい。おまえは、ずっとここに残りなさい」と私は命令しました。
「ほれ、見ろ。」その獣は、うなり声をあげながら、その首輪を私に見せました。
「それは何だ。何を意味しているんだ」と私は尋ねました。
「あんたは知らないのか。俺は、男の子たちをなわで縛って悪い告解をさせているのだ。これらの首輪で、俺は、人間たちを確実に地獄へと引きずりこんでいるのだ。」
「イエス・キリストの名によって話しなさい。」その怪物は、恐ろしく身もだえながら
「一つ目の首輪で、男の子たちは、ゆるしの秘跡で自分たちの罪を隠すようになるのだ」と答えました。
「そして、二つ目は」
「彼らに本当の悲しみのない告白をさせるのだ」
「そして、三つ目の首輪で」
「おまえには、言いたくない」
「言った方が身のためだぞ、さもないと、おまえにこの聖水を振りかけるぞ。」
「やめてくれ。すでに多くのことを話しだろう」
そして、その獣は、激しく怒りながらうなり声をあげました。
「私が自分たちの学校の先生たちに説明することができるように話しなさい。」
私は、潅水器を振りあげながら、命令しました。怪物が、渋々小言で、
「三つ目の首輪で、男の子たちは、堅い決心をすることや聴罪司祭の助言を実行することから引き離すのだ」と言うと、その獣の目から炎と血の滴が流れました。
「なんて醜い獣だ」と私は叫びました。
私は、その獣にさらに質問をしたく、どうすれば、この大きな悪を矯正できるか、そして、邪悪な力の働きに打ち勝つことができるかをその獣に話させたかったのですが、今まで隠れてその場にとどまっていたすべての醜い猫たちが、小言を言い始め、そして、話していた猫に対して大きな叫び声をあげました。騒ぎ声が広がり始めた最中で、私は、その獣からこれ以上何も聞くことは出来ないと気づきました。そのため、私は、潅水器を振り上げ、聖水を話していた猫に振りかけ、「立ち去れ」と命令しました。すると、その猫は、消え去りました。そして、私は、辺り一帯や大騒ぎのあったところに聖水を振りかけると、すべての猫があわてて逃げ去りました。私は、やかましい音で、自分がベッドにいることに気がつきました。

素直さ・悲しみ・決心
 愛する子たちよ、私は、あなたたちの多くが首に首輪をつけていると思いたくはありません。それが何を表すかは、分かっているでしょう。一つ目の首輪は、ゆるしの秘跡の中で、罪を隠そうとさせます。例えば、自分に責めるべきことが正確に4回あっても、罪を犯したことが3もしくは4回あったといったように、回数に対して嘘をつくようにさせるのです。二つ目の首輪は悲しみ、三つ目の首輪は固い決心が欠けるようにさせます。もし、私たちが、これらの首輪を自分自身から取り除き、悪魔の手からそれらを引き離すつもりならば、すべての罪を告白し、心から罪を悔いましょう。
烈火のごとく怒る少し前に、獣は、私に言いました。
「どれくらい良い男の子たちをゆるしの秘跡から引きずり込むか見ているがよい。もし、私が首輪を男の子たちに付けたどうか知りたければ、彼らの態度が改善されたかどうかを見ろ。」
 また、私は、悪魔にどうして男の子たちの背後でしゃがんでいるのかを話させました。
「見られないようにするためさ。そうすれば、簡単に地獄に引きずり込むことが出来るからな。」
 あなたたちは、この夢が本当か確かめたいと思うかもしれませんが、これは、私が先程言ったことを確認したまさに事実であり、私が夢を見たことは真実であると分かりました。ですから、私たちは、良いゆるしの秘跡とミサに与ることで完全な免償が得られるこの機会を利用しましょう。悪魔の首輪から私たちが自由になるために最大限努力しましょう。
 教皇様は、ご自分の司祭叙階50周年の機会に、完全な免償を来週の日曜日の4月11日に諸秘跡を受けた後、教皇様のために祈りを献げた全て人にお与えになります。今週の土曜日には、シュバリエール・オレグリアが教皇様と私的謁見を行い、私たちの学校やオラトリオに来ている男の子たちのサインが書いてあるアルバムを献上する予定です。君たちの過去のゆるしの秘跡の受け方が良かったどうかは分かりませんが、次の日曜日のミサで君たち全員のことを思い起こしたいと思います。

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⑦魔物に引きずり込まれた2人の男の子(BMⅡ,p. 396)

 ドン・ボスコは、深刻な病の後、ベッキの家で療養していた時に夢を見ました。オラトリオの男の子たちは、629人に達し、ドン・ボスコが不在の間、ボレロ神父と他の協力者が、オラトリオを運営していました。(BMⅡ,pp.380-399)
ドン・ボスコには、気が気でならない二つのことがありました。それは、魂が危機に陥り、さまよっている時と神が気分を害された時でした。
 おそらくその時だったと思いますが、ジュゼッペ・ブゼッティは、私たちにドン・ボスコがとても残念な夢を見たことを話してくれました。ドン・ボスコは、見覚えのある2人の男の子がトリノを去って、自分ところに来るのが見えましたが、彼らが、ポー川にかかる橋を渡ろうとした時、身の毛のよだつ魔物が彼らに襲いかかりました。魔物は、2人の男の子によだれを垂らした後、地に彼らを打ち倒して、泥道を引きずり回りましたので、2人の男に子は、全身泥まみれになりました。ドン・ボスコは、この夢について、自分のそばにいる何人かの男の子たちに話し、夢で見た男の子たちの名前にも触れました。その夢が、単なる幻想以上のものであることを示す出来事が後に起こりました。二人の不幸な男の子たちは、オラトリオから見放され、堕落した生活に自分自身を明け渡すこととなったのでした。

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⑥聖フランシスコ・サレジオ教会の未来(BMⅡ,p. 318)

 様々な困難がドン・ボスコ自身の決心を躊躇させることはありませんでした。これは、彼の生涯にわたる特徴です。長い内省と自分の長上や他の敬虔な人との相談の後に、彼は、すぐに実行に移しました。ドン・ボスコは、自分の務めを果たすまで、決して手を引くことはありませんでした。しかし、彼は、純粋に人間的な動機から何かを始めることはありませんでした。眠っている間も、彼は、啓示が与えられる幻に恵まれていました。以下の話は、ドン・ボスコが事業を始めた一年目にルア神父と他の人々に話したものです。

 時々、ドン・ボスコは、自分が幾つかの建物と教会を見つめていることに気がつきました。それは、今の聖フランシスコ・サレジオのオラトリオに全体的に重ねると一致していました。教会の正面には、「これは私の家、ここから私の栄光が流れ出る」という銘がありました。そして、男の子たち、神学生、司祭たちがその門を行ったり、来たりしていました。
この光景は、時々、他の光景を写し出しました。同じ場所で、ピナルディの小さな家が、その周りには、ある教会に隣接している柱廊式玄関が、そして、多くの男の子、神学生、司祭たちが現れました。「こんなことは、あり得ない。本当にしては出来すぎている。これは、悪魔が見せている幻なのか」とドン・ボスコは、自分に問いかけました。そのとき、「主がご自分の民を豊かにし、エジプトの民を滅ぼされることを知らないのか」と自分に語りかける声をはっきりと聞きました。

 また、別の時に、ドン・ボスコは、コットレンゴ通りにいるようでした。彼に右手側には、ピナルディの家が畑に囲まれた菜園の真ん中に立っていて、左手側、およそピナルディの家の反対側には、モレッタの家が、隣接した運動場と畑と一緒にありました。そこは、扶助者聖母会が後に、創立されたところです。二つの支柱が、聖フランシスコ・サレジオの将来のオラトリオの中心の門に立っており、ドン・ボスコは、それらの柱の上の「これは私の家、ここから私の栄光が流れ出る」という銘を読むことが出来ました。これは、明らかに、サレジオ会員のそばで育まれる女子修道会の最初の暗示でした。仮に、ドン・ボスコが最初の光景のものを見ていたならば、彼は、修道女たちを見ていたとは言えなかったでしょう。いずれにしても、彼は、これらの事柄について、口数を少なくしており、当時は、何も話しませんでした。

 ところで彼が、司祭研修学院で見た最初の夢(BMⅡ p.190f)が、現実のものになろうとしています。ドン・ボスコは、永遠の住まいを見つける前に三つの停留所に止まらなければなりませんでしたが、その一番目がリフージョ、2番目がモリーニドラであり、野原のあるモレッタの家が、三番目となるはずです。神の祝福がありますように。

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⑤三人の殉教者(BM2,p.268)

さまようオラトリオ
 ドン・ボスコのオラトリオは、発足してから5年間、「さまようオラトリオ」でした(聖ヨハネ・ボスコの回想緑第2巻,262ページ参照)。以前の建物は、何百人の男の子が遊ぶには十分な広さがなく、近隣の人々の邪魔にもなったので、ドン・ボスコは、ある場所から場所へ、ある人からは悩まされながら、また、ある人からは称賛と助けを得ながら、自分の群を連れて移動しなければなりませんでした。しかし、聖母マリアは、これらのすべての放浪の旅のうちにあっても、ドン・ボスコを慰め、導いたのです。
 ドン・ボスコが見た夢の一つは、彼にまた別の驚くべき光景を明らかにしました。彼は、これについて1844年に幾人かに簡潔に打ち明けましたが、その最も決定的な部分は、ドン・ボスコが、感極まりながら、我を忘れた状態で扶助者聖母聖堂を見つめていた二十年の間のいつでも、様々な機会に打ち明けられていました。彼の傍で、私たちは、ドン・ボスコの言葉を心に留め、注意深く、その度、書き留め、そして、以下のように彼の夢を再構築することが出来ました。

 ドン・ボスコは、「ロンド」かヴァルドッコ広場の北の端にいるようでした。現在、レジーナ・マリア通りとして知られている広い並木道に当時立ち並んでいた木々に沿ってドラ川を眺めていると、ドン・ボスコは、約200メートル離れた所、現在、コットレンゴ通りの近くに、まぶしく輝いている3人の凛々しい若者を見つけました。彼らは、ジャガイモ、トウモロコシ、豆、キャベツが植えられた土地、つまり、以前の夢の中で、テーベの軍団の3人の兵士たちが殉教した場所としてドン・ボスコに指し示された場所に立っていました。彼らは、彼に来て、加わるように合図をしました。彼は、出来る限りの気を配りながら、急いで行くと、彼らは、その場所のかなり端までドン・ボスコを連れていきました。そこは、現在、壮麗な扶助者聖母聖堂が立っています。

聖母マリアがドン・ボスコを救った
短い散歩の間に、ドン・ボスコは、自分がさまよっていることに気がつき、最終的に、ある女性の前に立っていました。彼女は、驚くほど美しく、壮麗で立派は服を着ており、周りには、女王の大臣たちに似た威厳のある男性たちがいました。輝く服装をした何百人の人々は、彼女の従者となっていました。まるで、彼女が女王であるかのようでした。他の大勢の人たちも、目で見ることが出来るほど、はっきりとしていました。その女性は、ドン・ボスコに近くに来るように手招きしました。彼女に近づくと、彼女は、ドン・ボスコと同行した三人の若者たちは、ソルトーレ、アヴェントーレ、オクタヴィオという三人の殉教者であると彼に言いました。そこで、ドン・ボスコは、彼らがこの場所の保護聖人であるという意味だと解釈しました。
 そして、魅力的な笑顔と愛にあふれた言葉で、彼女は、さらなる決心をもって大きな働きを行う限り、男の子たちを決して見捨てないとドン・ボスコを励ましました。彼女は、ドン・ボスコに、多くの深刻な問題に直面することになるが、神の母とその女性の聖なる息子への堅い信仰によってすべてに打ち勝ち、払拭することができるだろうと知らせました。
 最後に彼女は、本当に実在した家を彼に示しました。かれは、後に、それがピナルディという名前の男性のものであることに気が付きました。また、彼女は、彼に、同じ場所にある小さな教会を示しました。そこには、現在、聖フランシスコ・サレジオの教会とその近隣の建物が立っています。彼女は、右手を挙げて、とても美しい声で、「これは、私の家、ここから私の栄光が輝き出る」と言いました。これらの言葉を聞いて、ドン・ボスコは、目覚めるほどに感動しました。彼女は、真に聖なるおとめであり、全体の光景は、次第に、明け方の霧のように視界か消えていきました。

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④オラトリオの将来(BM vol.2 p.232)

聖ヨハネ・ボスコは、マルキオネス・バローロ婦人のリフージョで、オラトリオのために借りていた宿舎から立ち退くように求められた時、ある慰めとなる夢、もしくは、より良い、一続きの夢を見ました。このようにして、彼は、1875年に何名かのサレジオ会の司祭に語りました。

喧嘩をしている若者たち
私は、喧嘩をしたり、ののしったり、騙したり、他の非難すべき事柄を行っている男の子たちの群と共に、広大な草原にいるようでした。空中は、喧嘩している男の子たちが投げ合って飛び交っている石であふれていました。彼らは、全員見捨てられた男の子で、倫理的な規範を失っていました。自分のそばにいるあの女性に気づいた時、私は立ち去ろうとしていました。彼女は、「あの男の子たちの間に行って働きなさい」と言いました。
 私は、彼らに近づいて行きましたが、何をすることが出来るというのでしょうか。私には、彼らを集める場所がありませんでしたが、私は彼らを助けたかったのです。私は、離れた所から見ていて、私を助けてくれそうな人々の方を向き続けていましたが、誰も注意を向けておらず、私を助けてくれませんでした。そして、私は、あの女性の方を見ました。彼女は、「ここが場所です」と言って、野原を指さしましたが、私は、「ここはただの野原です」と言いました。
 彼女は、「私の息子とその弟子たちは、枕するところさえなかったのです」(マタ8:20)と答えました。私は、その野原で働き始めました。助言を与えたり、説教をしたり、ゆるしの秘跡を授けたりしましたが、私の努力はほとんどが無駄であったことが分かりました。私は、両親に見捨てられ、軽蔑され、社会から拒絶された子どもたちを集めて泊まらせるための何らかの場所を手に入れなければならなかったのです。そして、その女性は、私を少し遠い北の方角に導き、そして、「見なさい」と言いました。

教会と殉教者たち
そこを見ると低い屋根と小さな庭があり、たくさんの男の子たちがいる小さな教会が見えました。私は、自分の仕事を再開しましたが、教会があまりにも小さすぎたので、私はその女性に再び願いました。すると、彼女は、別の教会、より大きな教会とその教会の近くの家を指さしました。そして、彼女は、教会の正面とほぼ反対側にある耕された場所の近くに私を連れていきました。彼女は、「この場所は、トリノの偉大な殉教者、アドヴェントールとオッタヴィオが殉教したところです。そこは、彼らの生身が染み込んでおり、彼らの血によって聖なるものとされています。私は、神に栄光が帰されることを望んでいます。」そういうと、彼女は、足を出して、殉教者たちが埋まっている正確な場所を指し示しました。私は、戻った時に、再びその場所を見つけ出すために目印を置いておきたかったのですが、私は、一本の枝も一つの石も見つけることが出来ませんでした。それにもかかわらず、私は明確に頭の中で覚えていました。それは、かつて聖アンナの教会として知られている聖なる殉教者の聖堂の内側の隅に一致していました。それは、扶助者聖母聖堂の中心祭壇に直面しているおり、正面左隅にあります。
 その間、私は、数多くの、日に日に増えていく男の子に囲まれていることに気が付きましたが、私はその女性を見続けていました。その教会と資力もまた、次第に増えていきました。そして私は、テーべの軍団の兵士が殉教した場所として彼女が指し示した正確な地点にある大きな教会を見ました。その辺りには、多くの建物があり、真ん中には美しい山がそびえ立っていました。

従順のリボン
これらの事が起こっていた中で、私は、まだ夢を見ていました。司祭や神学生たちが私を手伝ってくれていたのですが、しばらくすると、彼らは去って行くのに気が付きました。私は、他の人たちが留まるようにあらゆることを試みましたが、しばらくして彼らも私を一人にさせました。そして、私は、助けを求めて、もう一度、あの女性の方を振り向きました。「彼らを留めておくために何をすれば良いか知りたいのですか」と彼女は尋ねました。「このリボンを受け取り、それを彼らの額に結びつけなさい。」私は、彼女の手からその白いリボンを恭しく受け取りました。そして、そこに「従順」という言葉が書かれていることに気が付きました。私は、すぐにそれを実践に移し、協力者の額に結びつけ始めました。このリボンは、驚くように作用しました。自分に託されている使命を遂行するにつれて、私のすべての助け手が、自分から離れる考えを諦め、留まるようになりました。こうして、私たちの会は誕生したのです。
 私は、数多くの他の事柄を見ましたが、今、それらを結びつける必要はないでしょう。それ以外には、自分がオラトリオやその会と思われる場所、また、よその者として扱う態度やそれらの位置づけに対して無責任な態度が感じられた場所を歩いたというだけで十分だと思います。私はすでに、これから起こるすべての困難を予想していましたし、それらを克服する仕方を知っています。私は、少しずつ、起こることを全体的に把握することができますし、ためらいもなく前に進んでいます。ただ、私がそれについて他の人に言及したり、それを現実のものとして語ったのは、私が夢の中で教会、学校、運動場、男の子たち、私を助けてくてる神学生や神父たちを見、使徒職の発展の仕方を学んだ後だったので、多くの人々は、私が馬鹿げた話をしていると思い、私が精神異常者であると信じていました。

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③女性の羊飼いの夢(BM vol.2 p. 190)

ヨハネ・ボスコは、1841年6月5日に司祭に叙階されました。聖なる役務は、彼の全生涯憧れでした。そして、ついに、長く待ち望んでいた目標に達したのです。彼は、26歳になり、司祭としての最初の数ヶ月を自分の故郷のカステルヌヴォで愛すべき司牧者チンザーノ神父と一緒に過ごしました。その期間について以下の彼の回想録を読んでみましょう。

1841年、私は、この5ヶ月間、助手のいない司牧者だったので、一人で奉仕をしていました。私は、この仕事に大きな喜びを見いだしていました。毎週日曜日に、説教をし、病気の人を訪問し、秘跡を行っていました。ただ、ゆるしの秘跡については、まだ許可を得ていなかったのでしませんでした。葬式の司式をしたり、教会の記録を整理したり、求められた証明書を発行したりしました。しかし、私の最も大きな喜びは、子どもたちに要理を教えたり、一緒に時間を過ごしたり、話したりすることでした。子どもたちは、ムリアルドから度々、私に会いに来ましたし、私が家に帰る時はいつでも、自分の周りに群がっていました。また、カステルヌヴォでは、若者たちと友達になり、私の部屋を探し始めました。私が司祭館を離れる時はいつでも、私が行くところにはどこにでも付いてくる男の子たちの群に付き添われていました。

ドン・ボスコには、寛大な報酬付きの契約の申し出が3つありました。神の御旨を理解するために、彼は、司牧における若い司祭の養成を行う司祭研修学院で教鞭をとっているカファッソ神父(現在は、聖人ですが)から霊的指導を受けるために、トリノに行きました。カファッソ神父は、彼に司祭研修学院に入るように勧めました。ドン・ボスコが、1841年12月8日に貧しい子どもたちのために日曜日の要理を始めたのは、まさに、ここからだったのです。それは、数年の間、さまようオラトリオでした。誰も100人ほどの男の子が遊び場で出す叫び声に邪魔されたくなかったのです。そのため、ドン・ボスコと子どもたちは、何度も場所を変えなければならなかったのでした(BMⅡCh.6,7参照)。しかし、将来の出来事を明らかにする夢によって、ドン・ボスコは、慰められたのです。彼の回想録から彼自身の言葉を用いてこの夢について話しましょう。

その年(1844年)の第二日曜日に、私は、オラトリオがヴァルドッコに移動することになったことを男の子たちに伝えなければなりませんでした。しかしながら、その具体的な場所、方法、私を助けてくれる人たちについて確信がなかったので、私は、とても心配でした。土曜日の夜に私は新しい夢を見ました。その夢は、私が9歳の時にベッキで見たものの続きのようにも思えましたが、文字通りに書き留めるのが最善だと思いました。
私は、数多くの狼、山羊、子羊、羊、雄羊、犬、鳥に中にいました。その群全体は、勇敢な人でさえも怯えてしまうほどほど、騒がしく、混乱しており、騒ぎ回っている状態でした。女性の羊飼いの服装をした女性が、私に自分の所にくるように手招きをした時、私は、逃げたかったのですが、彼女が率いている不思議な群に付いて行くことにしました。
私たちは、目的もなく、歩き回り、道の途中で三回ほど止まりましたが、その度に、先の動物たちの多くが子羊に変わりはじめ、その結果、子羊の数は、絶えず増え続けました。長い道のりを歩いた後、私は自分が牧草地にいることに気が付きました。そこでは、先の動物たちが、牧草を食べ、遊び戯れ、お互いに噛みつくようなことはありませんでした。
私は疲れたので、道の傍らに座りたいと思いましたが、女性の羊飼いは、歩き続けるように私を招きました。短い距離を行くと、柱廊式玄関に囲まれ、その端に教会のある大きな運動場に着きました。そこで、私は、大半の動物が子羊に変わっていることに気が付きました。そして、その数もとても増えました。その瞬間、多くの若い羊飼いたちが、世話をするためにやって来ましたが、彼らは、短い時間そこにとどまっただけで、離れて行きました。そして、驚くべきことが起こったのです。多くの子羊が羊に変わり、その群を世話したのです。その羊飼いの数は、とても多くなり、彼らは分かれて、ほかの奇妙な動物たちを囲いに入れるためにあらゆる所に行きました。
私は、ミサを行う時間になったと思ったので、そこから去りたかったのですが、女性の羊飼いは、私に南の方を見るように私に求めました。そこで、私は、トウモロコシ、じゃがいも、キャベツ、ビート、レタスや他の野菜が植えられている場所を見ました。「もう一度、ごらんなさい」と彼女が言いました。そうすると、私は、すばらしい教会に見入ってしまいました。その聖歌隊席で、私にミサの中で歌うように招いているかのような聖歌隊と楽器隊がいるのが見えました。教会の中には、白い飾りリボンが、大きな文字で「これは、私の家である。ここから、私の栄光が輝き出る」と記されて飾られていました。まだ、私は、夢を見ていたので、女性の羊飼いに私がいる場所や歩いたり、止まったり、家や教会を見たりした意味を尋ねました。すると、彼女は、「あなたの心の中で今、見たことをその目で目の当たりにしたときに、あなたは、すべてを理解するでしょう」と答えました。私は、自分が起きていると思い、「私は、自分の目ではっきりと見ています。私は、行っている所もしていることも知っています」と言いました。ちょうど、その時、聖フランシスコ・アシジ教会のお告げの祈りの鐘が鳴り、私は起きました。
この夢は、一晩中近く続きましたし、他の詳しい事もありました。その時、私は、自分自身も信用していませんでしたし、夢も少しも信頼していませんでしたので、それを全く理解しませんでした。事が徐々に形作られはじめて、私は理解し始めました。実際、その後、この夢は、他の夢と共に、リフージョにいる間に、私の計画の基盤を形作ることとなりました。

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②月毎の試験で見たヨハネ・ボスコの夢(BM1 p.190)

高校時代には、ヨハネ・ボスコは、知能と記憶力に加え、他の才能も持っていました。それは、飛び抜けていて、価値のあるものでした。その多くの出来事から一つをここに記したいと思います。

ある夜、ヨハネは、クラス分けをするために先生が行っている月毎の試験を受けている夢を見ました。目覚めた瞬間、ヨハネは、ベッドから飛び上がり、試験で出されたラテン語の文章を書き留め、神父の助手をしていた友人と一緒にそれを訳し始めました。それを信じるかどうかは別として、その朝、先生は、ラテン語のテストを行いましたが、それは、まさにヨハネが夢で見たものと同じラテン語の文章だったのです。そのため、彼は、辞書を必要とすることもなく、夢から覚めて後に書き出したように、それをとても早く訳すことができました。もちろん、成績は優秀でした。先生が尋ねたので、ヨハネが正直に起こった出来事を話すと、先生はとても驚いていました。

またある時、先生が、こんなに短い時間ですべての文法問題を解けるはずがないと疑うほど、ヨハネが、試験を早く提出したことがありました。先生は、昨夜に試験を準備したので、注意深くヨハネのテストを調べました。その試験がかなり時間がかかると分かっていたので、先生は、作った試験の半分を書き取らせましたが、ヨハネの作文のノートには、なんと最後の言葉まで全部、書いてあったのです。どうやってそれを説明することが出来るでしょうか。ヨハネがそれを徹夜して写すことも、自分の家からかなり離れていた先生の家に押し入ることも出来なかったでしょう。では、何でしょう。「僕はそれを夢で見ました」とヨハネは、言いました。そういう訳で、ヨハネは、学校の友達から「夢見人」というあだ名が付けられました。

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①最初の夢(BM vol.1 p. 94)


ヨハネ・ボスコは、1815年に生まれ、幼少期をイタリアのピエモンテにある小さな村、ベッキの明るく自由な雰囲気の中で過ごしました。彼は、小さな牧者として仲間と遊び、彼らを悪から引き離し、真理へと導きました。
1823年、ヨハネは、数マイル離れたカステルヌーヴォの町にある学校に行くことを望みましたが、20歳の無学な義兄が、その願いを妨げました。彼は、畑やブドウ園で働くことをヨハネに望んでいたのでした。
しかし、1824~1825年の冬の間、ピエモンテの畑が雪で覆われ仕事がない時に、ヨハネの母親は、ヨハネを近くの村にある学校に送りました。そこには、信心深い司祭がいて、彼に読み書きを教えるだけでなく、とりわけ、要理を教え、初告解のための準備をしてくれました。この司祭の指導の下で、若いヨハネは、祈りと苦行によって魂のうちに神の恵みを保たせるために必要な方法を身につけたのでした。
文字が読めるようになるとすぐに、牧場の動物を見張っている時でさえ、本を手に持ったヨハネの姿が頻繁に見られるようになりました。ある時、何人かの他の羊飼いの男の子たちが、遊びに加わるようヨハネに声をかけましたが、彼が断ったので、彼らから殴られたこともありました。ヨハネは、彼らにやり返したかもしれませんが、赦しが彼の復讐だったのです。「僕は遊べないよ、勉強しないといけないんだ、僕は司祭になりたいんだ」。
その後、男の子たちは、ヨハネをそのままにしておくようになりました。彼らは、ヨハネの忍耐と素直さに心動かされて、友達になりました。それから、ヨハネは、彼らに要理を教え始めるようになり、聖母マリアに賛美の歌を歌うように教えました。
ヨハネが9歳になった時、彼は、働き盛りの間に実現するとても大きな将来像と男の子たちのための摂理的な使命を与えられることになります。この夢について「オラトリオ回想録」の中で、ヨハネ・ボスコ自身が語っています。彼は、「聖フランシスコ・サレジオのオラトリオ回想録」を教皇から明確な命令を受けた後で、書きました。サレジオ会員に向けての原稿の短い序文のあとに、彼は、以下の夢を語っています。

第一部 イエスの命令
9歳の時、私は人生の中でも深く印象に残っている夢を見ました。私は、自分の家の近くにあり、子どもたちの群が楽しんでいる大きな遊び場のです。笑っている子どももいれば、遊んでいる子どももいて、呪いの言葉を吐いている子も少なくありませんでした。私は、その声にショックを受けて、彼らの中に飛び込んでいき、激しく動き回りながら、やめろと叫びました。その時、雄々しく、堂々とした態度で高貴な服を身にまとったある男の人が現れました。彼は、白くて長いマントを着ており、彼の顔は、私が直接見ることが出来ないほど輝いていました。彼は、私を名指しで呼び、この男の子たちの指導者として私を選び出すために、「あなたは、こぶしではなく、寛容さと親切によって、これらの友達に打ち勝たなければいけない。だから、今すぐに、罪が醜く、徳が美しいものであることを彼らに示すことから始めなさい。」と私に語りました。
混乱と恐れから、私は、自分はただの男の子に過ぎず、この若者たちに宗教について話すことは出来ませんと答えました。その瞬間、喧嘩や叫び声や呪い言葉はやみ、男の子たちの群が話をしていた男性のところに集まって来たのです。無意識に私は、尋ねました。
「でも、どうやってあなたは、私が到底、出来そうにないことをするよう命令するのですか。」
「あなたは、従順と知識を身につけることで不可能に見えることをやり遂げなければなりません。」
「でも、どこで?どうやって?」
「あなたに一人の女の先生をつけてあげよう。彼女の導きの下で、学ぶでしょう。彼女の助けがなければ、すべての知識は愚かなものになるでしょう。」
「ところで、あなたは誰ですか?」
「私は、あなたのお母さんがあなたに日に三度、挨拶をするよう教えている人の息子です。」
「私のお母さんは、許しのない限り、知らない人と話さないように言っています。だから、どうか、あなたの名前を教えてください。」
「それは、あなたのお母さんに尋ねなさい。」

第二部 ヨハネの先生、聖母マリア
その時、私は、その男の人の傍にまるで星を着飾ったように輝いた美しいマントを着た威厳のある姿をした女の人を見ました。彼女は、私がますます混乱しているのを見て、私を自分のもとに呼び寄せました。彼女は、私の手を優しく取りながら、「見なさい」と言いました。すべての子どもたちが消えて、その場所には、山羊、犬、猫、熊など多くの動物がいるのが見えました。彼女が私に言いました。
「ここが、あなたが働かなければならない場所です。謙遜で、忠実で、強くありなさい。あなたは、これからこの動物たちに起こることを見て、それを私の子どもたちにもしなければならないでしょう。」
私が再び見ると、野生の動物たちが、穏やかで戯れている多くの子羊に変わり、あの男の人と女の人を歓迎して鳴いていました。
夢のこの時点で、私はとても混乱していたので、私は泣き始め、女の人にそのすべてが意味していることを説明するように願いました。すると、彼女は、自分の手を私の頭において言いました。「来るべき時に、すべてのことが明らかになるでしょう。」
彼女がこれらの言葉を言い終えると、何かの物音で私は起き、すべてのものが消えました。私は、完全に当惑していました。あの喧嘩のせいでしょうか、なぜか私の頭はいまだに痛く、頬にも痛みがありました。さらに、あの男の人と女の人の会話は、私がその夜、これ以上眠れなくなるほど、私の心を揺さぶりました。
その日の朝、私は、自分の夢について話すのを待ちきれませんでした。私の兄弟たちがそれを聞くと、大笑いをしました。それから、私の母と祖母にも話しました。私の話を聞いて、それぞれが異なった解釈をしました。私の兄弟のジュゼッペは、「おまえは、羊飼いになって、山羊や羊や家畜の世話をするんだよ。」と言いました。私の母は「分からないけど、もしかしたらあなたは司祭になるかもしれないわ。」と話しました。アントニオは、皮肉っぽく「おまえは、盗賊の頭になるかもしれないな。」と不平を言いました。しかし、信心深い無学な祖母は、「夢なんて信用してはいけないよ。」と最後に言葉を残しました。私もそれについては、同じ考えでしたが、その夢は、私の頭から離れることは決してありませんでした。私がまさに話していることは、夢に何らかの新しい見方をもたらしてくれるかもしれませんが、私はそのことを決して持ち出しませんでしたし、身内もその夢に重きをおいてはいませんでした。
しかし、1858年、私が、ピオ9世教皇様とサレジオ会の創立について話し合うためにローマに行った時、教皇様は、私に夢で起こった僅かなことでさえも話すように私におっしゃったのです。そして、初めて、私は、教皇様に9歳の時に見た夢について話しました。そして、教皇様は、私にサレジオ会の会員たちを勇気づけるために夢について詳しく書き記すようにおっしゃいましたので、私は、ローマに行くことになりました。

この夢は、ヨハネ・ボスコを18年という年月を越えて再び、連れ戻すことになるでしょう。この話を繰り返す度に、いつも新しい多くの内容が加わっていました。この新たな回想によって、ヨハネ・ボスコは、オラトリオの設立や事業の広がりだけでなく、敵の策略によって生じた妨害の乗り越え方をよりはっきりと見ていたのでした。